江竜橋 ⇒ 石狩川第一橋梁 トレッキング実施日 ‘16/12/30
この日はこのプロジェクト始まって以来の左岸トレッキングだった。それは苦戦の連続だった。蓄積した疲労の上に、前に立ちはだかる幾重もの風倒木…。困難を極める前進が続いた。そしてついに…。
この日、左岸をトレッキングしなければならなかった理由は、石狩川と雨竜川が合流する地形にあった。
地図を見てもらえれば分かるのだが、二つの川が合流する前はしばらく二つの川が並行するように流れている。それが「江竜橋」を少し過ぎたところで合流している。そのため、石狩川の右岸には降り立つことができないのだ。もし「江竜橋」の右岸に近付こうとしたら、目測でおよそ8キロ程度迂回して近付かねばならないのだ。
これでは右岸を選択する気にはなれない。地図を見ると、左岸は流入する大きな流れがあり難しそうだったのだが…。
この日は三日間の中でも最長ということもあり、宿を7時に出て、主人にスタート地点の「江竜橋」の袂まで送ってもらった。
嬉しいことがあった。宿では夕食は家族と一緒に摂った。その際、主人の息子である雨竜小学校1年生の男の子と親しくなった。 「もう逢えないだろうなぁ」と思っていたところ、朝7時にも関わらず見送りに出ていてくれた。これにはとても感激した。
※ 私を送ってくれた「たびびとやど ゆき・ふる・さと」の主人です。
7時25分、「江竜橋」の左岸の袂からスタートし、河岸を目ざした。天気は薄曇り、風は微風といったコンデションだった。雪の状態は、前日と変わらず軽くスノーシューが沈む程度だった。
※ この日のスタート地点となった「江竜橋」のたもとです。
※ 江竜橋をバックにして、この日のスノーシュートレッキングを開始しました。
河岸に出て20分ほど前進したとき、この日の初めての掘割に遭遇した。恐れていた第一の大きな流れである。樋門を巻くために流れの上流に向かって歩いた。途中、渡渉できそうなところもあったが、前日のことが頭をよぎり挑戦しようとは思わなかった。
※ スタートして間もなく遭遇した第一の掘割です。とても渡れそうにありません。
樋門が見えた!と思って近づいたところ、その樋門から流れは、私が巻こうとしている流れの支流だった。そこからさらに流れを巻くために上流に向かった。ようやく見えてきたのは、なんと農道に架かった橋だった。ここまで掘割に遭遇してから40分もかかっていた。
※ 「樋門が見えた!」と思ったら、それは掘割に流れ込む支流の樋門だった。
※ 掘割を遡ること?キロ、ようやく見えたのは農道に架かる橋でした。
橋を渡り、再び河岸を目ざし、石狩川の流れに再会できたのはさらに40分後だった。つまりこの大きな掘割を越えるだけで1時間20分もかかったことになる。
再会した石狩川はいかにも大河という流れだったので、思わずライブレポでも発信した。
※ 1時間20分も経って再会した石狩川の流れです。
ところが、ここから河岸の様子が酷い状況になってきた。
灌木地帯というのではなく、高い木が密生している上、地面が凸凹で、どこを通るのが良いのか、絶えず判断が求められ、真っすぐにはとても歩けない状況だった。
そうしているうちに現れたのが、行く手を完全に遮るように横たわる大量の風倒木である。時には後退して改めてルートを見つけねばならない場合もあった。
※ だんだんと河岸の林が密になってきました。
※ そして木はだんだんと横に倒れた状態に…。
※ とうとうこのように状態に…。
※ こうなってはお手上げです。なんとか通れことのできるルートを探すのに必死です。
そうした中で、この日第二の掘割に遭遇し、やはり樋門を巻かねばならなかった。その「橋付樋門」を通過したのが11時25分だった。
※ 風倒木地帯を避け、眼にしたのが「橋付樋門」でした。
前記した大きな掘割を越えること、大量の風倒木地帯を抜けるためなどに、かなりの時間を費やしてしまった。
この日の第一の目安にしていた石狩川に架かるJRの鉄橋がなかなか現れない。この鉄橋のところは少なくとも12時には通過したいと考えていた。というのも、この日のゴールに設定していた「妹背牛橋」までたどり着くには、疲れが蓄積していてスピードが出ない私にとって3時間程度は必要と考えていたからだった。
ところが実際に鉄橋に到達したのは12時55分だった。
ここからの経緯については、ライブレポの⑥、⑦で詳細にレポしたが、もう私の中にその先を目ざす意欲を完全に失っていた。
この日は目的地を変更し、JRの鉄橋(後からJRに確認すると「石狩川第一橋梁」と称するそうだ)のところでスノーシューを外すことにした。
※ かなりの苦労をして「石狩川第一橋梁」に辿り着きました。
ところが!
この後が大変だった。私は、鉄橋近くに「学田」という小さな駅があるとマップを見て中断を判断したのだが、それが私の完全に見誤りだったのだ。
駅はそこからおよそ6キロ先の「江部乙」駅だったのだ。大変な雪が降る中、黙々と歩く以外なかった。
江部乙駅に着いたのは14時20分過ぎだった。14時16分発の列車は通過した後、次の16時47分までは2時間以上ある。
それは仕方のないことと思ったのだが、地元の老人のアドバイスをいただき、そこから歩いて国道まで出て、路線バスで滝川まで出て、滝川から都市間高速バスに乗り継いで帰札したのだった。
この日のトレッキングはある意味で、河岸トレッキングの困難さ、醍醐味、面白さを如実に表してくれていると思う。
というのも、雪の状態を含めて、現地の様子はまったく予想がつかないのである。どこに掘割があるのか、風倒木はどれくらい横たわっているのか、その場に立って初めて知ることになる。
そうした状況に遭遇した時、そのことをどう判断し、どう行動するのか、一つ一つ、一瞬一瞬の判断が求められる。それが面白さであり、醍醐味でもある。
結果として、この日のように目的地まで到達できないという事態も、このところ何度も味わっている。それが河岸トレッキング面白さであり、醍醐味でもある。
この冬、まだまだ何度もこうした面白さ、醍醐味を求めて石狩川河岸スノーシュートレッキングに出かけようと思う。