田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

コンサドーレ2018キックオフイベント

2018-01-13 21:42:49 | スポーツ & スポーツ観戦
 ミハイロ・ペドロヴィッチ新監督への期待だろうか?会場の北海きたえーるは用意された席のほとんどが埋め尽くされた。イベントは盛りだくさんで、今シーズンもまた応援したくなるような楽しいイベントだった。 

          
          ※ 全体を正面から撮った写真がなかったので、この写真だけHPから拝借しました。

 本当に何にでも顔を出す田舎オヤジである。その点、札幌はさまざまなイベントが連日行われているため田舎オヤジの波長とぴったりマッチしている感じがある。
 今日(1月12日)コンサドーレは、15日からの沖縄キャンプを前に、ホームタウン札幌のサポーターに新チームをお披露目するためのキックオフイベントが北海きたえーるで開催され、田舎オヤジも参戦した。

 私は開演の1時間15分前に着いたのだが、すぐには入場することができなく寒空に並ばされて、会場内に入ることができたのは開演の40分前だった。
 会場は私が予想していたのとは違って、観覧席だけではなく、アリーナにもパイプ椅子が並べられ、きたえーる全体がコンサドーレのサポーターで埋まった。

          
          ※ 開会前の会場内の様子です。

午後2時、大音響の中でキックオフイベントは開演された。
 イベントの内容は次のとおりである。
 ◇選手入場
 ◇選手紹介
 ◇スタッフ入場
 ◇スタッフ紹介
 ◇主催者挨拶(野々村社長)

          

 ◇新監督インタビュー(ミハイロ・ペドロヴィッチ新監督)
 ◇2018シーズンユニフォーム/トレーニングウェア紹介
 ◇チームスーツ紹介
 ◇新加入選手トークショー
 ◇監督挨拶/エンディング

          

 印象に残ったのは、やはり新監督インタビューである。さすがに歴戦の雄である。受け答えが落ち着いているし、どこか本音を明かさない感じに知将の雰囲気を感ずる。
 広島、浦和とJリーグを10年間にわたって指導してきたミシャ監督(彼の愛称)は、指導者となった際にあのイビチャ・オシム監督の薫陶を受け、大きな影響を受けているそうだ。つまり、彼もまたセルビア出身なのである。
 そのミシャ監督は、攻撃的なサッカーを志向することで知られているそうだ。つまり札幌が現段階から大きく飛躍するために招請されたということのようだ。それが札幌でどう出るのかは分からないが、サポーターとして期待を持ちながらシーズンインを待ちたいと思う。

          
          ※ 今シーズンのユニフォーム&トレーニングウェアのご披露です。

 約1時間15分のキックオフイベントは楽しく、今シーズンを期待させてくれる内容で締めくくられた。コンサのホームページを見ると、入場者は4596人だったそうだ。
 さあ、今シーズンは前シーズンよりはスタジアムに足を運ぼうと思っている。
 行け!コンサド~レ♪♪

リオパラリンピック選手・宮崎哲と母親

2018-01-12 21:55:13 | 講演・講義・フォーラム等
 たとえ障がい者スポーツといえども、パラリンピックに出場するような選手はアスリートそのものだと知った。ただ、障がい者スポーツの場合、家族をはじめとする周囲のサポートが何より重要であることを母親が語った。 

       

 1月10日(水)午後、北海道立特別支援教育センターにおいて「特別支援学校指導技術研修講座・公開講義」ちょっとお堅い名称の講義あり、参加した。
 講義は、リオパラリンピック水泳競技(200m自由形)に出場した宮崎哲選手と彼の母親が「子どもたちの豊かな生活のために」と題してお話しされた。

 宮崎哲さんは現在25歳で、自閉症と発達遅滞の障がいを持ちつつ、パラスポーツ(水泳)で活躍するアスリートである。札幌に生まれ育ち、中学・高校と養護学校に学び、現在も札幌在住で「あいおいニッセイ同和損保会社」で働きながら水泳を継続しているとのことだ。
 宮崎選手は、母・義恵さんの方針もあって小さなころからさまざまなスポーツに取り組ませたそうだ。そんな中で特に水泳には力を入れて取り組んだところ、障がい者スポーツの世界で徐々に芽が出るようになり、高校2年のときに全国トップクラスに躍り出たのを期に、パラリンピック出場を目標に定めたそうだ。

               

 以来、専属のコーチ(北海道青少年会館の小野正之氏)にも付いてもらい、本格的に競技に取り組んだ結果、2012年のロンドンパラリンピックは惜しくも出場を逃したが、昨年のリオパラリンピックは見事国内予選を突破し、200mでパラリンピック出場を果たした。
 講義では動画を流していただいたが、説明されなければトップアスリートが競泳で競っている姿となんら違いがない。母の義恵さんも語っていたが、当然健常者の記録には及ばない、ということだったが私にはアスリートそのものの泳ぎと映った。

 宮崎選手は現在、JOCのアスナビの斡旋によって、「あいおいニッセイ同和損保北海道支社」に勤務して、9時~15時まで事務補助として従事し、その後トレーニングに明け暮れる日々ということだった。
 宮崎選手がJOCのアスナビの対象となったのも、パラスポーツ界のトップに立ったことと、あいおいニッセイ会社の理解によって実現したようだが、母・義恵さんは大変感謝していた。

 さて、宮崎選手はリオオリンピックにおいて、自己ベストを更新することと、決勝に残ることを目標に臨んだのだが、惜しくもその目標には届かなかった。
 現在の彼の目標は来る2020年の東京パラリンピックに出場し、その二つの目標を叶えることだという。そのためにまた厳しい鍛錬が続くようだ。

               

 講義の中で、リオパラリンピックのこと、今後のこと、等折々に宮崎選手が綴った作文が読み上げられ、それを母・義恵が補足するという形で進められた。
 東京パラリンピックの出場を得るのは、年齢のこともありかなり高いハードルだとも聞いたが、ぜひ頑張ってほしいものである。

 講義題の「子どもたちの豊かな生活のために」について義恵さんは、障がい者の場合は何より家庭での親子の在り方が問われるという。さらにはそれを取り巻く周囲の方々。彼の場合は、養護学校の先生方、水泳のコーチ、等々。それらに恵まれたことが大きいと義恵さんは語った。何より、傍につきっきりだった母・義恵さんの存在は大きいようだ。
 義恵さんは、これからも宮崎選手への全力サポートを誓った。

ハードルの高いオペラ観劇

2018-01-11 21:14:53 | ステージ & エンターテイメント
 知人からの強い勧めもあり札幌のオペラ集団「LCアルモーニカ」のオペラ公演を観劇する機会に恵まれた。しかし、正直に告白しよう…。恐れていたことだが、私にとってのオペラ観劇は「猫に小判」状態だったのが残念である…。 

               

 1月8日(月祝)午後、札幌市教育文化会館において表記「LCアルモーニカ」のオペラ公演があった。私は知人の方からチケットをプレゼントされるという幸運に恵まれ、観劇することになった。
 上演のプログラムは、林光作曲、若林一郎脚本の「おこんじょうるり」と、同じコンビによる「あまんじゃくとうりこひめ」という、どちらも和の世界を描くオペラであった。

 「LCアルモーニカ」とは、北海道内における声楽家や奏者が集まって発足した社会人オペラの会だという。したがって、それぞれが音楽的な教育を受けた本格的な集団である。その一員として、知人の娘さんも加わっていて、今回も主要な役を演ずることから、「ぜひ観てほしい」と乞われてチケットをプレゼントされたというわけである。

 知人の娘さんは「おこんじゅうるり」の“おこん”の役で出演していた。“おこん”とは、きつねが幼い娘に化けた役である。
 これまで数度にわたって知人の娘さんのステージを聴いたことがあるが、そのときはドレス姿のソプラノ歌手としての姿しか拝見していなかったので、幼い村娘に変身した姿からは俄かに彼女だとは思えなかったくらいの変身ぶりだった。ただ、その確かな歌声を聴いたとき、はじめてそれが知人の娘さんと信じることができた。

               

 さて、オペラであるが、私にはどうしても敷居が高い。
 私の場合、クラシックの声楽の良さを感得することすらなかなか難しいところがある。そこにオペラの場合は歌い手たちの演技が加わり、ストーリーがあるのはご存じのとおりである。その良さを私は感ずることができないのだ。残念ながら私にはオペラを楽しむ素養が欠けているということであろう。
           
 プレゼントしていただいたチケットは、何と4,000円である。オペラの観覧は高額と聞いていたが、私にはその良さを感ずることができないだけに高額に感じてしまう。
 しかし、本格的にオペラを上演する場合には、その規模が大掛かりになるだけにこうした価格になるのも致し方ないのであろう。オーケストラを入れ、本番だけではなく、通しの舞台稽古のためのステージ借用料、さらには出演者の中にはセミプロの方もいると聞く…、等々を勘案するとどうしても高額になってしまうのだろう。

 しかし…。う~ん、私にはどうしてもオペラ観劇は「猫に小判」となってしまう…。


映画 204 南極物語

2018-01-10 20:22:20 | 映画観賞・感想

 この映画は高倉健の映画ではない。この映画の見どころはタロ、ジロをはじめとしたカラフト犬が南極大陸を疾走する姿であり、南極の雄大な自然を映し出すことだったのではないか。高倉健や渡瀬恒彦はあくまで脇役でしかなかったと私には映った。 

                  
                  ※ 映画ポスターには若き日の荻野目慶子が大きく取り上げられている。

 1月8日(月)午前、道立近代美術館において、同館で開催中の「特別追悼展 高倉健」の関連事業として、高倉健主演の「南極物語」の上映会があり参加した。
 1983(昭和58)年、制作・公開された映画である。
 映画は南極に置き去りにされたまま、過酷な環境を一年間にわたって生き抜いたタロ、ジロの奇跡の生還が日本中を感動の渦に巻き込んだことを題材としたものである。

 1983年の映画の制作から遡ること20年余り、1956(昭和31)年南極観測隊第一次越冬隊に同行したカラフト犬15頭は越冬隊の観測任務に大きな貢献を果たした。そしてカラフト犬は1958年に第二次越冬隊に引き継がれるはずであったが、荒天のため第二次越冬隊は上陸することができず、15頭のカラフト犬たちは置き去りにされることになった。
 ほとんどの犬たちが鎖につながれたまま餓死したり、鎖を断ち切ったものの事故や行方不明になる犬たちがほとんどだった中で、タロ、ジロの二頭の犬だけは一年後に上陸した第三次越冬隊によって発見・保護されたのであった。

               

 映画はタロ、ジロの生還という事実(ノンフィクション)を題材とはしているが、映画のかなりの部分はノンフィクションであるといってもよい内容である。というのも、映画の大半は南極の取り残された15匹のその後の運命を描くものであった。
 多くの犬は、鎖に繋がれたまま餌が与えられず餓死してしまった。うち何頭かの犬は繋がれた鎖を切り離し自由になったものの、餌を探すうちに南極の海に飲み込まれてしまったり、いずこへか消え去ったものあり、と散り散りバラバラとなってしまったところを描いている。このあたりのストーリーは、作者が想像したフィクションでしかない。
 しかし、たとえフィクションであろうがストーリーとしては上出来だった。さらには鎖を切り離し南極大陸を疾走する犬たちを追う南極大陸の雄大な映像が素晴らしい。
 もっとも、機材などが現代とは違うことから、現代のようなクリアな映像とはなっていないが、当時としては相当な予算を使って空撮を敢行したものと思われた。

               

 一方、この映画の主演とされる高倉は彼のキャラクターでもある寡黙な男を好演し、渡瀬はやや過剰な演技ながらも、彼の良さが出た役柄のように思われた。しかし、それとてこの映画においては二人とも脇役の域を脱していなかったと私には映った。

               

 しかし、映画は観る人たちにやるせない思いも残したものだった。
 人間の都合のために南極に取り残され、タロ、ジロ以外の犬たちは無念にも命を落とす結果となってしまった。その一頭、一頭の犬たちの生への執着を見せながらも無残に力尽きていく…。
 生あるものへの生きる権利が、昔と比べると格段大きく叫ばれるようになった現代において、はたして今「南極大陸」のような映画は成立するのだろうか? そんなことを考えさせられてしまった映画だった…。

             


近美コンサート 渡部美蕗のピアノ

2018-01-09 21:16:03 | ステージ & エンターテイメント
 今春の「ステージ&エンターテイメント」のスタートは、お隣の道立近代美術館のコンサートだった。比較的耳に馴染みの曲が多かったこともあり、私にとっては楽しむことができた1時間だった。 

                 

 1月6日(土)午前、近代美術館ホールにおいて、「名曲で綴るピアノの調べ ~新春の贈り物~ 」と題して、札幌市を中心に活躍しているピアニスト・渡部美蕗(わたなべ みぶき)さんのコンサートが、道銀文化財団の主催で開催された。私は友人二人とともにコンサートを楽しんだ。

 コンサートはまず、新春らしく宮城道雄作曲の「春の海」から始まった。お正月にはおなじみの箏と尺八で奏でられる名曲であるが、ピアノも名手にかかるとまたいい。
 その後も名曲が次々と披露された。プログラムを列挙すると…。
 ◇ 春の海/宮城道雄
 ◇ ワルツ第6番変ニ長調Op.64-1 “子犬のワルツ”/F.ショパン
 ◇ ポロネーズ第6番変イ長調 Op.53 “英雄ポロネーズ”/F.ショパン
 ◇ 「子どもの情景」より 第7曲 トロメライ/R.シューマン
 ◇ 献 呈/シューマン=リスト
 ◇ ラデッキー行進曲 作品228/J.シュトラウス1世
そして、アンコールに披露されたのは、現在開催されている特別展「特別追悼展 高倉健」にちなんで彼の遺作ともなった「あなたへ」の中で挿入曲として流されている松村崇継作曲の「彼方の光」が演奏された。

                  

 リード文でも触れたとおり、ほとんどの曲がどこかで聞いたことのある曲だったこともあり、心地よく聴くことができた。
 ところで、いらぬことではあるがコンサートの司会者が渡部美蕗さんの登場の時に「美人ピアニスト」と紹介した。なるほど彼女は楚々とした美人であった。音楽家が美人でなければならないという条件は何もないが、逆説的に言うと音楽家が美人であるということは何かにつけて好都合なのではないだろうか?

            

 また、彼女の演奏を聴きながら次のようなことも考えていた。
 ピアノの演奏家としてソロで活躍できるということは、かなりの実力者ということが言えるのではないか、ということだ。それは、現在音楽家として活躍されているほとんどの方が最初に出会った楽器はピアノだったと思われるからである。
 その中で、ピアノ一筋でここまでこられたということは、ピアノの技量が抜群だったからなのではないか、と素人は想像するのだが…。

 今年も私らしく無料のコンサートからスタートを切ったが、有料、無料を問わず、本当に多くのステージが展開される札幌である。今年も大いに楽しみたいと思っている。

冬の石狩川河岸を遡る 25

2018-01-08 23:28:12 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

麻布橋 ⇒ 愛別橋   トレッキング月日 ‘18/01/05 

 今回のトレッキング最終日は、疲労が重なっていたこともあり大苦戦だった。しかし、三日間とも無風のコンディションだったことは幸運だった。冬期間の戸外での活動の場合、風が無いのが何よりである。

           
          ※ 「麻布橋」上から石狩川の下流を写しました。

 トレッキング三日目、今回の最終日となるこの日は疲れのためかなかなか眠ることができず、半ばトレッキングを断念するつもりでいた。朝5時に目覚めたとき、「どうしようか?」しばらくベッド上で思案したのだが、ライブレポでも触れたように「ここまで来て…」の思いが頭をもたげ、決行を決意したのだった。

 決意をしたら、前日と同じ朝6時45分発の名寄行きに飛び乗り、比布町の「基線6号」停留所までバスで移動した。さすがに旭川からも遠ざかった。交通量の少ない早朝だったにもかかわらず45分くらいかかったようだ。バス停から30分かけて前日のゴール地点である「麻布橋」のたもとをスタートしたのは8時00分だった。
 天候は、これまで同様に曇ってはいるものの、風が無いのが幸いした。そういう意味ではこの三日間は幸運だった。
 ただ、夜間に雪が降ったようで、前日までの雪の上にさらに10センチ程度積もったようで、スノーシューが深く沈むのが気になった。

          
          ※ 「麻布橋」のたもとからスタートして、振り返って見た「麻布橋」です。

 この日は、当初「麻布橋」からは右岸に戻る計画だったのだが、マップ上で検討したところ左岸の方が障害が少なそうだったので、前日からの延長で左岸をトレッキングすることにした。
 この選択は正解だったようだ。というのも、どうやら左岸には河岸沿いにサイクリングロードが設置されているようだった。サイクリングロードはきわめて川沿いを走っており、「絶えず石狩川の川面を視界に入れながら歩く」という私のコンセプトに合致しているためにスムーズに歩を進めることができた。ただ、ロードは時には河岸から離れることもあったので、その時にはロードを離れて歩くこともあった。

          

          ※ この2枚の写真のように、河岸にはサイクリングロードが整備されているようでした。

          

 この日の第一目標ポイントである「比布大橋」は、スタート地点の「麻布橋」から5キロくらい離れていたため、雪原を淡々と歩く前半となった。
 このあたりはまだまだスタートしたばかり。体力にも少しは余裕があったようだ。私は人っ子一人いない雪原を独り行くスノーシュートレッキングの醍醐味を楽しんでいた。他人にはバカバカしいとも思えるこの行為に、私はある種の陶酔感を抱いているのかもしれない。

          
          ※ この辺りはまだまだ余裕をもって歩いていたところですね。
 
 石狩川には特別変わった様子もない。ところどころで石狩川の写真を撮りながら進んだ。
 10時24分、「比布大橋」に近づいたところで「伊香牛29丁目排水樋門」というところを通過した。
 そしてそれから間もなく、10時45分、スタートから2時間45分を要して第一目標ポイントである「比布大橋」に到達した。「比布大橋」の手前で、軽食を口にした。

          
          ※ 「伊香牛29丁目排水樋門」です。「排水」と付けられている点がこれまでの樋門と違うところです。

          
          ※ 「比布大橋」です。私はこの後、この橋を渡って右岸に移りました。

 「比布大橋」からは当初予定したように右岸を行くことにした。しかし、これが私に大変な困難を強いることになった。
 「比布大橋」を渡るときだった、国道上に姿を見せたとき、ちょうど地元の警察が乗った軽車両が通った。私の姿を見て「おーっ!」というような表情で通過していった。幸い不審者とは思われなかったようだ。

          
          ※ 右岸に移ったことによって石狩川を右手に見て進むことになります。

 「比布大橋」からの右岸は、それまでの左岸とは様相を異にして放置された(?)整備されていない河岸だった。前半ですでに相当に体力を消耗していた私は、徐々に辛くなり始めていた。
 「比布大橋」から2キロに満たない距離のところに「愛別川」が流入していた。そこに架かっている橋が「金富橋」だった。そこに到達したのは、ちょうど12時00分だった。2キロに満たないのに1時間15分もかかっていた。急なペースダウンである。
 「金富橋」からゴールの「愛別橋」まではまだ4キロくらいある。帰りのバス時間が14時30分である。果たして4キロを2時間程度で歩けるのか?疲労が体全体を覆い始めていたために不安になってきた。

          
          ※ 石狩川の支流「愛別川」に架かる「金富橋」という何とも豊かな名前の橋です。

          
          ※ 「金富橋」から愛別川が石狩川に合流するところ写したものです。

 焦り始めた私の前に、河岸の様子がこれまでとは全く違った様相を呈し始めた。河岸がまったく整備されておらず、前年の雨竜町や妹背牛町を歩いたときのような灌木が立ちはだかるワイルドな河岸の様子なりはじめたのだ。とても真っすぐには進めない。木々の間を縫うように歩かねばならなかった。
 疲れて焦る私の目に、石狩川にまたがる施設が見えた。「おゝ、愛別大橋が早くも視界に入った!」と思ったが、そうではなかった。近づいてみると、マップではまったく確認できなかった頭首工の施設だった。その施設は工事中で傍に寄れず、施設名を確認できなかったのだが、帰宅して調べたところ「愛別頭首工」のようである。

                    
          ※ 辛いトレッキングを続けているとき、こうした光景に出会うと一瞬心が和まされます。

          
          ※ 「愛別頭首工」です。工事中のため、近くには寄れませんでした。

 私にとって厳しく辛いトレッキングが続いた。
 「金富橋」から1時間後の13時00分、旭川紋別自動車道が渡る「愛別大橋」に到達した。
 この頃になると、私は疲労困憊のために数十歩進むと一息入れねば前へ進むことができなくなっていた。険しい河岸の状況と蓄積した疲労、そんな中での時間との闘い…。

          
          ※ 旭川紋別自動車道が走る「愛別大橋」です。

          
          ※ 雪上トレッキングだからこそ撮れる愛別大橋を下から見たところです。

 私が右岸を選択したのは、以前に車で国道39号線を何度も走っていたのだが、その際に河岸に愛別町の運動公園(野球場やサッカー場)が見えたので、きっと右岸の方は整備されているに違いないと思ったのだが、それは思い違いだったようだ。

          
          ※ 写真のようなところがどんどん現れて私の前進を阻みました。

          
          ※ 名称不明の樋門ですが、進むところは樋門の下をくぐらねばなりませんでした。

 河岸の険しい状況はずーっと変わらなかったが、最後の最後になって運動公園が現れた。そこを越え、「愛別橋」のたもとにヘロヘロになって達したのは14時20分。バスの通過時間まで10分しかない際どさだった。

          
          ※ 疲労困憊の状態でようやくスノーシューを脱ぐことができました。

 これまでも何度か疲労困憊でゴールしたことがあったが、久しぶりに辛さを体験した。しかし、この辛さも時間が経つと心地よさに変ってしまうから困ったものである。

 次はあるのか? 次はいつなのか? 今のところは未定である。
 


冬の石狩川河岸を遡る 24

2018-01-07 21:28:05 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 ※ タイトルの後の数字ですが、この数字は私が「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトを開始した2014年1月22日を「1」として、それからこのプロジェクトにかけた日数を表しています。したがって、今回は石狩川河口からスタートしてから24日目ということになります。

永山橋 ⇒ 麻布橋   トレッキング月日 ‘18/01/04

 トレッキング二日目は、朝早くから行動を開始することができた。天候は前日に続き、この日も曇天だったが風がなく、スノーシュートレッキングには適したコンディションだった。 

 この日は朝5時に起床し、すべての準備を整えて、朝6時45分発の名寄行きの一番バスに飛び乗った。まだ夜明け前(この日の日の出は7時04分)とあって辺りはまだ暗かった。
 バスに乗ること約30分、前日帰りに乗車した「1線13号停留所」に降り立った。

          
          ※ この日のスタート地点となった「永山橋」を背にスタートしたところです。

 バス停から15分歩いて昨日のゴール地点(本日のスタート地点)の「永山橋」のたもとに着き、諸準備を終えて、ライブレポの第1信を投稿し、7時50分スタートした。
 辺りに人影はもちろんなく、石狩川は静かに流れている中を、一人歩を進めた。

          
          ※ 石狩川はまだまだゆったり流れ、河岸にはところどころ灌木も目立つようになってきました。

 「永山橋」を過ぎると、旭川市も郊外に入ったと見え、橋と橋の間隔が長くなり、この日の第一目標ポイントの「東永橋」まではかなり離れていた。
 河岸の様子も徐々に変わり始め、ところどころに灌木も目立ち始めた。
 すると、河岸スノーシューの大敵(?)樋門が目に入った。樋門があると、そこを迂回しなければならない。樋門の名称は「東鷹栖14号樋門」と記されていた。

          
          ※ 河岸は灌木があったかと思うと、写真のように広々と開けているところもありました。

          
          ※ 「東鷹栖14号樋門」です。

 石狩川の様子は相変わらず右に左に流れを変えながらゆったりと流れていたが、一カ所だけ川を横断するように階段状に造作されているところがあった。その施設が設置されている理由は素人には分かりかねるが、流れを調整する施設なのかな?と思われた。

          
          ※ 写真のような灌木地帯を行かねばならないところも徐々に表れてきました。

          
          ※ 写真のような階段状の施設は流れを調整するための施設でしょうか?

          
          ※ 小さな吹き流しのようなものが目に入りましたが、何の目的のものでしょうか?

 昨日痛んだ大腿部の痛みが再び感ずるようになったが、大事とはならなず順調に歩を進めていたところ、スタートから2時間になろうとした9時45分、第一目標ポイントとしていた「東永橋」に到達した。
 ライブレポでも触れたが、ここまで私は石狩川の右岸を歩いてきたが、マップを読むとこの後の右岸は大きな流れが入り込んでいるようだったので、橋を渡って左岸を行くことにした。

          
          ※ ようやく「東永橋」に到達です。この橋を渡り、この後は左岸を歩きました。

          
          ※ 「東永橋」の上から見た石狩川の流れです。中州が目立つのは、川底が浅くなったからではないでしょうか?

 この選択が正解だったかどうかは分からない。というのも、「東永橋」からの直後の河岸は、夏は湿地帯になっているのではと思われるところに入ったのだ。雪面の凹部が目立ち、掘割に遭遇する危険を感じ、ストックで突きながら一歩一歩慎重に進まねばならないところが3~4カ所あった。このあたりで撮った写真は極端に少ない。危険を感ずると写真を撮ることなどに気を回す余裕がなくなってしまうのだ。

          
          ※ 写真のような窪みがあると要注意です。慎重に歩を進めねばなりません。

 そこを越え、10時35分にJR宗谷本線の鉄道橋梁の下をくぐった。折よく列車が通過するところを写真に撮ることができた。
 さらに30分後の11時05分、石狩川を堰き止める「頭首工」に遭遇した。傍によると「近文頭首工」という銘板が付けられていた。
 さらにそこから1時間後、第二の目標ポイント「栄園橋」に到達した。この間の写真もまったくない。この間は危険だったのではなく、代り映えのしない光景が続いたからだと思われる。

          
          ※ JR宗谷本線の鉄道橋梁(名称不明)です。ちょうど列車が通りました。

          
          ※ 石狩川の水を農業用水として利するための施設「近文頭首工」です。

          
          ※ この日の第二目標ポイントの「栄園橋」です。

 代り映えのしない光景と記したが、それはどうやら私が歩いた左岸にはサイクリングロードが設置されていたようなのだ。サイクリングロードばかりを歩いたわけではないが、サイクリングロードが比較的河岸近くに設定されているところが多く、自然とそこを歩くことが多くなったように思われた。

          
          ※ トレッキング中は、折に触れ石狩川をチェックしながら歩を進めています。

          
          ※ 曇天のため、スノーシューの跡がはっきりしませんが、おそらくサイクリングコース上を歩いているものと思われます。

 スノーシュートレッキングは冬期間雪が積もることで、夏には立ち入れない河岸のどこにでも立ち入り、進むことができるのが魅力なのだが、何もかも雪に覆われてしまうために景色はどうしても単調になる。そのためレポートにも難しいところがある。しかし、それはある意味この類のスノーシュートレッキングの宿命でもあると思っている。

 途中で何度かの軽食と熱い紅茶での休憩をはさみながら、単調とも思えるトレッキングは続いた。
 そしてはっと気づくと、遠くにこの日のゴール地点に設定した「麻布橋」が見えてきた。その向こうには、若いころに毎年のように通った比布スキー場のゲレンデが目に入ってきた。
 そして13時15分、「麻布橋」に到達した。思っていたより早い到達時間のように思えたが、距離からいえば順当な時間だったのかもしれない。

          
          ※ この日のゴール緑色の「麻布橋」が見えてきました。

          
          ※ 「麻布橋」の左上方に私にとって懐かしい比布スキー場が見えています。

 「麻布橋」から国道39号線に出て、14時41分通過のバスを待つ時間が長かったぁ…。
 疲れは隠せなかったものの、三日間の中では最も快調なトレッキングを楽しんだ一日だったかもしれない。

          
          ※ この「当麻23丁目」のバス停での1時間強の待ち時間は長かったぁ…。


冬の石狩川河岸を遡る 23

2018-01-06 21:33:38 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

旭橋 ⇒ 永山橋   トレッキング月日 ‘18/01/03

 およそ一年ぶりの石狩川河岸トレッキングである。懐かしい石狩川に還ってきた。この日は主として旭川市内を流れる石狩川の河岸のトレッキングである。しかし、まだ正月のさなか、しかも雪が積もった曇り空とあって河岸に人は見当たらなかった。 

         
 身体中が心地よい疲労感に包まれている。ぐっすりと眠ることができた。
 午前中、二人の友人と近代美術館でのピアノコンサートを聴いた後、一緒に食事をとった。
 二人の友人は私のブログをいつもチェックしてくれている方である。話題は当然のように私のスノーシュートレッキングのことになった。
 二人は私の行動に「よく頑張ってるね」というような言葉を発しながらも、「なんてバカバカしいことをやっているんだい」という表情をしているのを私は見逃さなかった。
 その思いは私もとても理解できるのだが、今の私には止める気持ちなど毛頭ない。表現は使いたくない)
 列車ははたしてどこまで行くのか?それは私自身も分かっていない…。

          
          ※ 「旭橋」の上から見た石狩川です。久しぶりの再会でした。

 さて、私はこの日午前7時発の高速バスで旭川に向かった。
 旭川に着いたのは、9時20分頃だったか?バスターミナルで身支度を整え、すぐにスタート地点の「旭橋」に向かった。
 「旭橋」まで凍った道路を約30分かけて、昨年のゴール地点の「旭橋」のたもとに着いた。懐かしい「石狩川」そして「旭橋」との対面である。石狩川は両岸に雪を纏いながら静かに流れていた。

          
          ※ 特徴のある優雅な雰囲気を醸し出す「旭橋」です。

 清涼飲料を買ったり、スノーシューを付けたり、ライブレポを発信したりと、いろいろと手間どい結局スタートしたのは10時30分だった。
 天気は曇り空だったが、風がないのは幸いだった。「旭橋」は旭川の中心部に近いのに、雪上には足跡やスキーの跡などは皆無だった。
 新雪の中、スノーシューはけっこう埋まったが、スタートしたばかりで快調に歩を進めた。

          
          ※ 「旭橋」を背にスノーシュートレッキングを開始した私のスノーシュー跡です。

 すると、川の向こう側に同じようにスノーシュー(いやスキーかな?)を楽しんでいる人が見えた。同種の人を見るのは、嬉しいような、恥ずかしいような…。
 そうしているうちに、この日の第一目標ポイントの「金星橋」に到達した。時間は10時55分、わずか25分である。
 この日だけではないが、私の石狩川河岸トレッキングは石狩川に架かる橋が重要な目標ポイントとなっている。この日は「旭橋」⇒「金星橋」⇒「花咲大橋」⇒「秋月橋」⇒「永山橋」と5つの橋が目標となっていた。

          
          ※ 川向に私と同じ人種が!!地元の人が健康づくりに励んでいたのかもしれません。

          
          ※ 「旭橋」の後、最初に遭遇した「金星橋」です。

 その後、トレッキングは淡々と、という感じである。というのも、旭川市内の河岸は市民の憩いのために整備されていて、立ち木などもほとんどなく、ひたすら平原を行くといった感じなのだ。雪のない時期には市民が憩う東屋風の施設も雪をかぶっている。
 脚に疲れを感じ始めた11時40分、二つ目の橋「花咲大橋」に到達した。小腹が空いたので小休止し、妻が握ってくれた愛情おにぎりとバナナをひとかけら熱い紅茶で流し込んだ。おにぎりは厚く覆いをしていたので、十分美味しく食べることができた。

          
          ※ 河川敷に建てられたあずまや風の施設もこんもりと雪をかぶって…。

          
          ※ 「花咲大橋」です。工事中のようでした。

 それからも単調なトレッキングは続いた。そのせいだろうか?この間に撮った写真が見つからない。徐々に大腿部に痛みを感じ始めたのもこのころだったようだ。
 「花咲大橋」からおよそ1時間後の12時50分、「秋月橋」に到達した。

          
          ※ この日、三つ目の橋「秋月橋」です。

 「秋月橋」を通過した後、この日初めての樋門を目にした。「樋門」とは、川の水を取り入れたり、排水したりする施設である。トレッキングをする者にとっては要注意の施設なのだ。この樋門と川との間には必ず水路が走っているため、そこを迂回しなければならない。ただ、やはり市民のためだろうか?水路がトンネル状になっていたようで迂回せずに済んだ。
 だいぶん郊外になってきたようだ。ところどころで河岸に雑木が目立ってきた。さらには河川敷を雪捨て場にしているところも目に入った。

          
          ※ 最初に出会った樋門です。名称をチェックするのを忘れました。

          
          ※ 河川敷はどこでも雪捨て場として活用されているようです。

          
          ※ 河岸にはところどころこうした灌木も目に付くようになりました。

 「秋月橋」を通過してやはり1時間後の13時55分、四つ目の橋「北旭川橋」に到達した。マップで確認すると、これまでの橋より交通量の多い橋のようである。

          
          ※ 小さなアーチが特徴の「北旭川橋」です。

 河岸の様子は相変わらず淡々と、といった感じである。
 この日、二つ目の樋門があった。今度は迂回しなければならなかった。それでもまだ樋門まで至らぬうちに水路を通過できた。(辺地の樋門では施設の上側を回り込まねばならない)
 深雪トレッキングは徐々に私の脚を痛めていたが、このあたりになるとそれは一歩一歩の踏み出しにも影響を及ぼし始めた。
 そうした思いを抱えながらのトレッキングだったが、1時間後この日のゴール地点に設定したアーチ型をした「永山橋」が目に入った。

          
          ※ この日二つ目の樋門も名称のチェックを忘れました。

          
          ※ 大きなアーチを乗せた「永山橋」が目に入ってきました。

 そこからもうひと踏ん張り、15時05分「永山橋」のたもとに着き、スノーシューを脱いだ。
 「永山橋」の近くからバスをキャッチする予定だったが、地元の人に聞くとそのバス停より、国道に出たほうが確実とのアドバイスによりかなり歩かされて、ようやくバスの人となり旭川駅前の〇横インにチェックインしたのだった。

          
          ※ 横から見た「永山橋」です。

 札幌河川管理事務所の方のアドバイスで「河川リアルタイム情報システム」によると、「旭橋」から「永山橋」までは6.7キロである。
 6.7キロで大腿部にはかなりの痛みを感じてしまった。翌日からの予定距離は倍以上を計画していた。机上のプランは往々にして自らの体力を過剰評価してしまうようだ。私はすぐに計画を変更することにしたのはライブレポでも報告したとおりである。


石狩川遡行 25 ライブレポ⑤

2018-01-05 20:08:53 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

先ほど18時過ぎ、高速バスで帰宅しました。
いや〜、お恥ずかしいところをレポしてしまいました。
前日までの疲れが重なっていた上に、夜間に新雪が積もり、前日まで以上にスノーシューが雪に埋もれたことがその要因のような気がします。
もっとも、私の基礎体力にも問題があるのかもしれませんが…。

それでも、スノーシューの醍醐味は私をとらえて離しません。
まだまだ止めませんよ!

明日から、今回の三日間を振り返ってみようと思います。

写真は石狩川河岸で、枯れたイタドリに雪が付いて、まるで白い花を咲かせたように見えたのでシャッタを切ってみました。