今シーズン2回目の石狩川河岸遡行のため、前回のゴールだった愛別町に向かいます。
今回は自家用車を動員します。というのも、愛別町から先はバス便が極端に少なくなるからです。車とバスで尺取り虫のように進む予定です。
愛別町までは3時間から3時間半くらいかかりそうです。
ただ今、午前3時50分、辺りはまだ真っ暗です。
それでは運転に十分気をつけて行ってきます。

1月21日(日)午後、北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)の一室において、「アートパフォーマンス in 赤れんが」の第3回目(最終回)が開催された。
第3回目のゲストはピアノトリオと称するだけで、特別グループとしての名称は持っていないようだった。
メンバーは、ヴァイオリンの福井岳雄さん、チェロの中川恵美さん、ピアノの辻千絵さんというアラフォー(?)トリオだった。
三人共にすでにヴェテランの域に達している感じの落ち着いた演奏が印象的だった。

演奏された曲は、
◇ブリッジ/「ピアノ三重奏のための小品集」より、メヌエット、ガボット、アレグレット、ロシアのワルツ、軍隊行進曲
◇ブラームス/「ピアノ三重奏曲第一番ロ長調Op.8」より第一楽章
◇ガーシュイン/スワニー、サマータイム
◇ピアソラ/「ブエノスアイレスの四季」より冬
◇ラヴェル(南聡編曲)/ボレロ
そしてアンコールで、アイルランド民謡/ロンドンデリーの歌

前述したように、私にはガーシュインとアイルランド民謡くらいしか聴いたことなく、ほとんどは耳慣れぬ曲だった。
しかし、重厚で落ち着きのある音色は、聴いている私たちの奥底まで届くような曲の数々だった。
ただ、会場が本格的なホールではないために、ピアノを持ち込めないという制約があり、エレクトリックピアノで音がスピーカーを通して聴衆に届くというシステムのため、どうしても若干の違和感を持たせてしまうところが残念だった。そのことはピアノの辻千絵さんが一番感じていることなのかもしれないが…。

会場は立ち見ができるくらいの盛況で、今年度最後の「アートパフォーマンス in 赤れんが」は終わった。
北海道が主催するこの催しをこれからもずーっと続けてほしいと願うばかりである。
原作:東野圭吾の作品の映画化である。東野作品の良さを上手く引き出した出来となっているように思われた。主演の阿部寛も良かったが、松嶋奈々子が陰のある役を見事に演じていたように私には思えた。
今年は立て続けに試写会の鑑賞券を入手することができた。ついている。
一昨日(1月19日)夜、共済ホールにおいてHBCシネマクラブ主催の試写会「祈りの幕が下りる時」が行われ、観賞することができた。
映画は、夢だった舞台演出家としての名声を獲得し、人生の成功者と思われていた浅居博美(松嶋奈々子)だが、彼女の生育過程において大きな傷を抱えていた。
一方、彼女の過去を追う日本橋署刑事の加賀恭一郎(阿部寛)も、実は自身の生育の過程に大きな謎を抱えていた。
その二人の親、浅居の父と加賀の母が、彼らの知らないところで繋がりができていたとは…。
ストーリーは東野圭吾特有の複雑な人間関係を縦糸として進行するのだが、ストーリーの前半はその人間関係の把握に苦労した私だった。しかし多くの人たちにとっては、東野の著書「新参者」を原作としたテレビドラマとしてそうした人間関係は把握済みだったのかもしれないが、TVドラマをまったく見ない私にとっては、そこのところに苦労した。
苦労しながらも、なんとか登場人物の人間関係を把握してからは、ずっぷりと映画の中に感情移入することができた。
過去を回想するシーンから、浅居博美のやりきれない過去が明らかになっていく。そして加賀恭一郎の母の過去も…。
サスペンス映画としては上々の出来となっていると私には思えた。
実は、昨年暮れから私は突然のように東野圭吾作品にはまってしまった。それは某ラジオ番組のパーソナリティの一言が発端だった。以来、○○〇OFFの108円の新書を残らず買い漁り、毎晩寝不足に陥りながら、飽きもせず読み進めている。
そんな東野圭吾原作の作品だったこともあって、本作にはいつも以上に入り込んで映画を観てしまった。
映画「祈りの幕が下りる時」…。自信をもってお勧めできる作品です!
いや~。映画って、最高のエンターテイメントですね。

※ 会場全体を魚眼風レンズでとらえたものです。
1月19日から21日までの3日間の日程で、「札幌モーターショー」が札幌ドームで開催されている。
私は昨日、開催一日目に会場に足を運んだ。というのも、以前に観覧した時(’12/2/18)の混雑ぶりが記憶にあったので、初日でしかも平日なら混雑もそれほどではないのでは、と予想してドームに向かったのだ。
私の予想は違わなかった。結構な人出はあったものの、人波のために展示車が見られないということはなかった。
モーターショーは国産とヨーロッパのメーカーの車が所狭しと展示されていた。(アメリカのメーカーの出品はなかったようだ)それと目立ったのが、オートバイのメーカーの出品が目立った。
そうした展示車を見ながら感じたのは、全体に大型化が目立ち、そのデザインもなんだか威圧的に感じられ、それらが街中を走ったら「そこのけ、そこのけ車が通る」みたいな雰囲気になりはしないのか、とさえ思われた。
実際の街中では、小型化が進んでいるのかな?とも思われるのだが、はたしてどうなのだろうか?

※ 本年度のカーオブザイヤーに輝いたボルボのXc60 T5です。本体価格が6,790,000円だそうです。

※ 会場で異彩を放ったポルシェのラリーカータイプです。

※ 同じくポルシェのレーシングカータイプの車です。

※ トヨタの光沢を消したカラーリングに目を奪われた車です。
さて、私のお目当ての旭川工業高生が修復したというトラックは、会場の片隅に展示されていたが、なかなかの人気のようだった。旭川工業高生は校舎の片隅で埃をかぶっていた1971年製のボンネット型トラック「スタウト」を手間暇かけて見事に修復したということで話題となっていた。それは素人目から見ても見事に修復されていた。
トラックの傍には修復に携わった生徒が説明役をしていたが、その顔はどこか誇らしげだった。そして生徒の周りには、その昔、実際に「スタウト」に乗って仕事をしていた人たちが懐かしげにトラックに触ったり、生徒に話しかけたりしていた。

※ 旭川工業高生が修復したボンネット型トラック「スタウト」です。

私のもう一つのお目当ては、北海道発の電気自動車を開発しているコーナーの展示だった。高校や大学、専門学校などが競って電気自動車を展示していたが、残念ながら実用にはまだちょっと日がかかるようだったが、「北海道発次世代EV研究開発・利活用プロジェクト」の試作車はかなり実用化に近い車ではないかと思えた。

※ 寒冷地仕様超小型EV「ネイクル」です。キタキツネをイメージしたとか…。
はたして私にとって、入場料(前売り券1,100円)に見合ったイベントだったかどうかは判断が難しいが、札幌では2年に1度しか開かれないというイベントだということだから、まあ良しとしようか?

※ カラーリングも含めて目を引いた、超高齢化社会向きの車椅子も搭載できる多用途車です。(ダイハツ製)
《藻岩山登山》
来週に「石狩川遡行」の今シーズン第2弾を控えている私は、脚に刺激を与える意味もあって、久しぶりの藻岩山登山を行った。天気も良く気持ちの良い登山となった。写真は「今日の藻岩山山頂から」です。


1月17日(水)夜、札幌コンサートホールKitaraにおいて札幌市消防音楽隊119ニューイヤーコンサートが開催された。友人が鑑賞券を入手してくれて、三人でコンサートを楽しんだ。
札幌には、北部方面音楽隊、北海道警察音楽隊といった音楽隊が活動していて、それぞれ人気があるようだが、札幌市消防音楽隊も負けずに人気があるようだ。キタラの大ホールがほぼ満員となる中、コンサートは始まった。
◇J.レノン & P.マッカートニーの「オブラディ・オブラダ」を皮切りに、◇K.J.アルフォードの「ボギー大佐」、◇都倉俊一の「ピンク・レディー・メドレー」と続いた。いずれも軽快なアップテンポの曲で、聴いているものをワクワクさせるものがあった。
消防音楽隊は、その設立目的からも多くの市民に親しまれることが何より重要なことから、こうした親しみ深い曲を得意としているのだろう。
プログラムを見ていて、あることに気づいた。自衛隊や警察では所属そのものが音楽隊である。ところが消防音楽隊の場合は、隊員の所属は札幌市内の各消防署に分かれていることが分かった。このことは、自衛隊や警察の音楽隊とは違って、それぞれが消防署員としての仕事をしながら音楽活動も行っているということなのだろうか?
もし、私の想像が間違っていないとすると、音楽隊員の彼らは大変な努力をしながら音楽活動を行っているように思えるのだがはたしてどうなのだろうか?もちろん彼らは中学、高校などで吹奏楽に親しみ、基礎はしっかりできている人たちだとは思われるが…。

※ 写真は夏の演奏の様子だが、今回は黒っぽい礼装での演奏だった。
コンサートは続いた。◇久石譲の「さんぽ」、◇S.フォスターの「フォスター・ソング・ファンタジー」、◇Nargoの「パラダイス・ハズ・ノー・ボーダー」、◇C.フランソワ & J.ルヴォーの「マイ・ウェイ」、◇K.バデルトの「パイレーツ・オブ・カリビアン」、◇A.メイケン & H.アッシュマンの「美女と野獣」と、やはり親しみやすい曲が次々と披露された。
正直に言うと、曲によってはパートの音が乱れてしまうところもあったが、あまり気にならずに楽しむことができた。
第2部では、プロのカスタネット奏者である真貝裕司氏がゲストとして登場した。真貝氏は、札響のパーカッション部門を長く務められた方で、素晴らしい技を披露してくれた。
演奏した曲は、◇P.マルキーナの「エスパーニャ・カーニ」、◇M.Dファリアの「恋は魔術師より『火祭りの踊り』」、◇藤田崇文の「カスタネットの為の『カルメンファンタージー』」の3曲で聴衆を魅了した。
最後は真貝氏と札幌消防音楽隊のコラボレーションで、◇杉山真人の「おひさしぶりね」、◇村井邦彦の「虹と雪のバラード」、◇E.ワルトトイフェルの「女学生」が演奏された。
道東の片田舎で現職時代を過ごした私にとって、管弦楽を聴く機会はきわめて限られていて、日常的に聴けるのは吹奏楽だった。そうしたこともあって、吹奏楽はいわば耳慣れた音楽である。
近日中に、北部方面音楽隊、警察音楽隊のコンサートも聴く予定となっている。管弦楽とともに吹奏楽も大いに楽しみたいと思っている。

※ 講師の林教授が立ち上げた「看取りネット」のホームページの扉の写真です。
1月16日(火)午前、札幌大学の公開講座「地域創生入門~地域社会における介護と看取り~」の第15回講座が開催された。本シリーズの最終講座である。
講師である日本医療大学の林美枝子教授は日本の介護のシステムを次のように解説した。
日本は1970年から80年にかけて、死の医療化・病院化が進行して、各家庭で特に姑から嫁のルートで継承されていた看取りの文化が廃れていったという。
ところが近年の日本の高齢化スピードは世界に例がないほどすさまじく1970年7%だった高齢化率がわずか37年後の2007年には21%に跳ねあがった。今後ますます高齢化は進展し、それに伴う多死社会が到来するという。
そのため、政府はこれ以上の医療資源の消費には耐えられないとして、これまでの「病院完結型社会」から、「地域完結型社会」への移行を進めているそうだ。

このことは、誤解を恐れずに言えば、これまでは死期を迎えた人を高価な薬や機器を動員して生き永らえさせることによって莫大に医療費が消費されていた。それは在宅で最期を迎えたいというお年寄りたちの希望にも沿わない現状だった。
そこで政府としては、お年寄りの希望にも沿った「在宅で最期を迎える」という方向に舵を切るシステムとして2012年「地域包括ケアシステム」の導入に踏み切ったということだ。
地域包括ケアシステムとは「地域ごとの医療・介護・予防・生活支援・住まいの継続的で包括的なネットワーク」のことだそうだ。林氏によると2025年までには全国的にこのシステムが完成されるということだ。
その際、問題となるのが前述した「看取り」に関してその文化が継承されてこなかったという問題である。そこで林氏は「看取りネット」を立ち上げ、自宅で家族介護を行っていた家族介護者や、家族の在宅死を看取った介護遺族の語りから、介護や看取り文化の再生のための情報を集めることを目指しているそうだ。
2015年5月に「看取りネット」を試験的に公開し、修整を繰り返しながら2025年には完成を目指しているということだが、実は現在のところは思っていたほどの情報の収集、ネットへのアクセスがないとのことで、今後の軌道修正も課題となっているとのことだった。
しかし、集まってきた「看取り語り」からは、貴重な情報も寄せられていて、今後の展開に希望を持ってもいるようだった。
私も「看取りの語り場」というページを読ませていただいたが、当事者には参考になる事例が紹介されていて、看取る側の心構えなども学べる貴重なサイトではないかと思った。
「看取りネット」は、今後多くの人が頼りとするサイトになっていくのではないだろうか?
※なお、半年間にわたった札幌大公開講座「地域創生入門~地域社会における介護と看取り~」もこの日をもって最終講義となっ た。私は15回の講義のうち、11回に参加することができた。私自身が老境に入ろうとしている今(そのような気持ちはまだまだないのですが…)、参考になることが多かった講座だった。
息もつかせぬスペクタクルな展開は、さすがにハリウッド映画の真骨頂と思わせる展開だった。エンターテイメントとして上々の出来と思わせる映画である。しかし、地球の天候を人間の意のままにできるという「気象コントロール衛星」という存在には疑問符を付けざるを得なかった…。
久しぶりに試写会の鑑賞券を入手することができた。
昨夜(1月16日)、STVホールで上映された「ジオストーム」を観ることができた。
ジオストームとは、地球規模の同時多発災害を指す言葉だそうだ。
「気象コントロール衛星」が機能し、世界の気象が安定したのもつかの間、その衛星に
にウィルスが侵入したことによって衛星が暴走を始め、世界各地で災害が発生する。そして、ついには地球全体が壊滅的災害の危機(ジオストーム)に瀕する中、なんとかそれを食い止めようと必死に暴走を止めるための闘いに挑む姿を描いた映画である。
※ 気象衛星を危機から救おうと、ジェイク役のジェラルド・バトラー(左)とウーテ役のアレクサンドラ・マリア・ララが活躍する。
さすがにハリウッド映画である。災害のシーンの迫力は桁違いである。リオディジャネイロが寒波に見舞われ、香港では地割れが、ドバイは大洪水に、そしてインドのムンバイも、東京も…。その迫力が凄い!そして最後のカーチェスと見どころたくさんである。
そのようなことを起こし、さらにはジオストームを起こそうとしたのは、実は政治的に暗躍する集団だった…。
後は、ぜひ映画を実際に観てほしい。間違いなく、その 迫力に圧倒され、映画の面白さを満喫できるはずである。
※ 国連軍が守るアフガニスタンの村が突然凍り付いた…。
ところで「気象コントロール衛星」の存在である。地球の気象を人間の思うがままにコントロールするという考えが実際に科学界において真剣に検討されているのだろうか?もし、そうだとしたら私は俄かに賛成しかねることである。
確かに近年は、異常気象が続いたり、自然災害が頻発する事態となってはいるが、地球全体の気象を人間がコントロールしようとする発想はどうなのだろうか?人間が創造したものは、悪意をもった人間には必ず悪用されるという歴史を人間は繰り返してきたのではないか?
※ ニューヨーク(?)の摩天楼に巨大な氷の玉が降ってきた!
異常気象や自然災害から人間を守るということについては、これからもさまざまな分野での創意工夫が求められるだろう。しかし、地球全体の気象をコントロールしようとする考え方は、反対に地球滅亡への道を辿るのではないか、と私は思うのだが、はたしてこの映画を観た人はどう思うのだろうか?
昨日(1月15日)、私が所属する「めだかの学校」が今年の学習活動をスタートさせた。自ら学習計画を立て、自ら学ぶ「めだかの学校」学習スタイルがとても気に入っている。今年も学友(?)の方々と、共に計画を立て、共に学んでいきたい。
記録を遡ると、私が「めだかの学校」の学習会に参加し始めたのは2014年の1月からだから、ちょうど4年を経過し、5年目に入ったことになる。
学習内容は、DVDによる「映像で綴る昭和の記録」とか、「日本の世界遺産」を視聴したり、「映画の中の北海道」と題して北海道にかかわる映画を鑑賞したり、という学習に参加してきた。
その間、当初は一般参加者として参加していたのだが、「めだかの学校」の会員の中に知人がいて、その方から「めだかの学校」の会員になることを勧められ、入会することにしたのが参加し始めてから1年くらい経ったころだった。
会員になったことで、参加者の受付業務を手伝ったり、時にはDVD視聴の際のナビゲータ役を担わされたりして、会員として学ぶ面白さに気づいた。
また、月に一度の「給食会」と称する会員同士の飲み会も私には魅力的だった。
※ 昨年四月、私がナビゲーター役を務めたときのものです。
昨年4月の総会時には「運営委員」といって、「めだかの学校」の運営について協議するための一員にも推薦され、月に一度(時には二度)の運営委員会にも参加するようになった。この運営委員会での協議がまた私にとっては興味深い場である。「めだかの学校」のおおよそのことが、運営委員会の場で決定されていくからだ。
現在は、来年度の学習計画について侃々諤々の議論をしているところである。
さて、昨日(1月15日)は、本年第1回目の「運営委員会」、「学習会」、「新年会(給食会)」の三つが重なった日だった。
10時30分からは「運営委員会」を行い来年度計画の進捗状況について各々の報告をもとに協議した。
続いて、13時30分からは「古典落語研究会」と称する学習会が行われた。
この日のナビゲーターは「めだかの学校」の代表であるS氏だった。S氏は、落語の舞台となった背景について、詳しく調べられ大変興味深かった。
※ 六代目新風亭柳橋です。
落語の方は、六代目新風亭柳橋の「蒟蒻問答」、二代目桂小南の「三十石」を聴いた。
この「古典落語研究会」で興味深いのは、S氏が録画した「落語 the Movie」を鑑賞することである。「超入門!落語 THE MOVIE」とは、落語の噺を映像化して見せるもので、落語本来の楽しみ方とは異なるが、映像化されることで、より噺が理解しやすいので、私には興味深い。この日は「粗忽長屋」と「目黒のさんま」の二つを聴いた?観た?
※ 「超入門!落語 THE MOVIE」のロゴです。
昨日のスケジュールの最後は16時からの「新年会」だった。肩の凝らない話題が次々と出され、大いに談笑を楽しんだ。もちろん会話の中に、「めだかの学校」に関することも話題として取り上げられたが、そうした会話が次の運営委員会に生かされる場合も多い。
私は今、来年度前半の「野外講座」について具体策を作成する作業に入っている。これまで以上の魅力的な講座となるよう頭をひねっている最中である。
今年もまた、自ら計画を立て、自ら学ぶ「めだかの学校」で楽しく学んでいきたい。
退職組織の児童会館における「学習支援活動」が今季も行われたが、私は1月10日~12日までの3日間、二条はるにれ児童会館と緑が丘児童会館を訪れて、子どもたちの学習をちょっぴり応援した。

退職組織の札幌中央支部では3年前から夏・冬休み期間中に、児童会館に集う子どもたちの学習支援に取り組んでいる。
その内容はというと、児童会館において、長期休みの宿題だとか、学習塾の課題などに取り組むための学習時間が設定されている時間帯に私たちが訪れ、学習に躓いている子がいたら、その子たちにアドバイスをするのが私たちの活動である。
今季は、その学習時間が「二条はるにれ児童会館」は8時45分~9時30分、「緑が丘児童会館」が10時~10時45分に設定されているため、私たちは二つの児童会館をかけもちで指導することが可能だったのである。
活動は全体では1週間ほどあるのだが、その中から自分が都合の良い日を選び、一人が3~4回活動に参加しているのである。
子どもたちのほとんどは、自分のペースでどんどん学習を進める子が多い。そんな中、時折躓いている子がいたときに私たちがアドバイスをするといった感じである。私などはアドバイスをするというより、現場を離れて10数年経って、今の子どもたち学習内容を改めて確認したり、学習の進歩ぶりに認識を新たにする時間になっている。
活動に参加する会員も当初は支部の役員ばかりだったが、徐々に広がりを見せてきて、一般会員の方も参加していただくようになり、取り組みの定着を感じているところだ。

ところで、先日退職組織の新年交流会があった際に、同じテーブルに座った他支部の方から、私たちの取り組みについて質問があった。というのも、その支部でも子どもの学習支援に取り組もうという機運が高まっているとのことなのだ。
私は嬉しくなり、私たちの取り組みの仔細についてお伝えし、「ぜひ実現に向けて頑張ってください」と激励させてもらった。
現在、札幌市内の私たち退職組織で同様の取り組みをしているのは、私たち中央支部ともう一つの支部だけなのである。これが市内10支部ののうち、3支部が取り組むとなると「ある種の風になる」と思うのだ。「それならうちの支部もやってみよう」と…。
私は、このような活動が、私たちの退職組織が取り組むべき最もふさわしい活動ではないのか、と考えているのである。
そうした意味で、ある種の風が吹くまで粘り強くこの活動に携わりたいと考えている。

※ 札幌市役所1階ロビーに立つ島義勇判官像です。
1月11日(木)午後、退職組織の新年交流会が某ホテルで開催された。その際に、今年は宴会に入る前に研修会が企画された。その研修会とは、今年が開道150年ということもあり、札幌(北海道)の成り立ちについて改めて思い起こすという意味も込めて、札幌市公文書館の榎本洋介氏が「島義勇判官の札幌本府地選定」と題してのお話するのをうかがった。
榎本氏の話は私にはとても興味深かった。
史実の上で、札幌を本府にしようという動きは、江戸末期の幕臣で探検家の近藤重蔵の時代に遡る。近藤は特に北国の探検に主として取り組んでいたようで、1803(享和3)年には5度目の蝦夷地入りを果たし、利尻島や札幌市周辺を探索したようだ。
その際、近藤は「ツイシカリ川(札幌川・豊平川)三里を上り、札縨(札幌)・樋平(豊平)の辺りぞ大府を置の地なるべし」という言葉を残している。
近藤から時代はやや下るが、やはり探検家として著名な松浦武四郎が蝦夷地を探検し、本府の選定について次のように語っている。「此辺に府を立まほしく思ふ。左候はゞ(そうろうはば)石狩を大坂とし、津石狩(対雁)を伏見と見、川筋三里を上り爰(ここ)を府に定め、銭箱(銭函)・小樽をして尼崎・西宮とし…(後略)」と、松浦も豊平川河口から三里上がったところに府を定めるのが良い、と主張している。
このことで、北海道の本府が現在の札幌の地に事実上決まったものと思われる。

※ 松浦武四郎の肖像写真です。
そして、本格的に札幌を本府にすべく乗り込んできたのが、開拓使初代判官・島義勇である。
史実によると、島は札幌の街を概観できる「コタンベツの丘」に上って、札幌の街づくりを構想したといわれている。そのコタンベツの丘に立って、島義勇は有名な漢詩を詠んだと言われている。その訳詩を紹介すると、
河水遠く流れて山隅に峙つ(そばだつ)
平原千里地は膏腴(こうゆ) ※ 膏腴~地味は豊かである。
四通八達宜しく府を開くべし
他日五洲第一の都

※ 北海道神宮内に立つ島義勇像です。
私の関心事は、島が札幌の街を概観し、街づくりの構想を練ったとされる「コタンベツの丘」がいったいどこなのか?ということである。
あの札幌市役所のロビーに置かれている島判官が遠くを望む像は、まさに「コタンベツの丘」から札幌の街を望んでいる姿である。
その「コタンベツの丘」は、その後の文書等に残されていないこともあって、やれ円山山頂だの、いや三角山の頂上だのと諸説紛々あって、今のところ特定はされていないようなのだ。
私は、私の浅はかな学習と現地をいろいろと探った結果、どうも北海道神宮内の高いところではないのか、とぼんやりと考えていた。
そこで私は思い切って、宴会にも出席されていた講師の榎本洋介氏に近づき尋ねてみた。「コタンベツの丘とは、榎本氏はどの辺りを指していると思われますか?」と…。
すると、榎本氏は「定説はないのだが、残された文書などから想像すると、円山公園内に『島判官紀功碑』が立っているが、それが大きなヒントではないか。つまりその紀功碑の延長線上の高いところではないか、と考えるのが自然のようだ」と答えてくれた。

※ 円山公園内に立つ「島判官紀功碑」です。
歴史を勉強されている方の中には異説の方もあるかもしれないが、私としては榎本氏の言を信じたい。
実は、私が所属する「めだかの学校」の平成30年度の「野外講座」の学習計画を構想しているところなのだが、テーマを「札幌の古を訪ねて」と定めて、札幌開府前後の歴史の跡を辿ろうと計画している。その中で、「コタンベツの丘」にもぜひ立ちたいと考えていた。その意味からも今回の榎本洋介氏の「島義勇判官の札幌本府地選定」のお話は有益であった。