田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

初体験!ビーチコーミング in 浜益

2018-10-21 19:48:09 | ボランティア

 ビーチコーミング本来の姿とは違って、海浜清掃というのが実態だったが、天候にも恵まれ楽しく参加できた。清掃をしながらいろいろなことを考えさせられた一日だった…。

                

            ※ 主催者のNPO法人「北海道海浜美化をすすめる会」のスローガンが書かれた幟です。

 本日(10月21日)、NPO法人「北海道海浜美化をすすめる会」が主催する「ビーチコーミング in 浜益」に参加した。

 ビーチコーミング本来の意味は、「海岸などに打ち上げられた漂着物を収集の対象としたり観察したりする行為であり、漂着物を加工したり標本にしたり装飾したりして楽しむ」というのが本来の意味だそうだ。

 今回の場合は、海浜美化が主たる目的であるが、漂着物を収集するということを広い意味で捉えるとビーチコーミングの一種と言えるのかもしれない…。

           

          ※ 会場となった浜益区川下海岸の前で行われた開会式の様子です。

 今回の場合は、浜益まではバスで移動し、石狩市浜益区の川下海岸を清掃するというものだった。

 参加者は小学生から大学生、そしてシニアの方々と広い年齢層の方々が参加していた。

          

          ※ NPO法人「北海道海浜美化をすすめる会」の会員の方々が身につけていたアウターです。

 参加者は全体で40名前後だったろうか?その40名を2グループに分けて、海岸を二方向から清掃するというものだった。 

 各グループはさらに3名1班の小グループで活動するようにと指示があり、私は北海学園大学のボランティアサークルの女子学生2人とグループを組んで活動した。

           

          ※ それぞれが火ばさみとビニール袋を手に海辺のゴミを収集しました。

 主催者からは、①燃えるゴミ、②燃えないゴミ、③プラスチックゴミ、④漁網やロープ、と4種類に分けてゴミを収集するようにとの指示があった。

 今日は一日中天気が穏やかで、気温も上がり、心地良い気分で清掃活動に取り組めた。

 海岸を一見したところ、それほどゴミが多いようには見えなかったのだが、詳細に見ていくとけっこういろいろなゴミが散乱していた。

           

          ※ 私と小グループを組んだ二人の女子大生です。

 私たちは4種のビニール袋を手に活動を始めたのだが、最もゴミが目立ったのは予想どおりプラスチックゴミだった。ペットボトル、ビニール袋、それにプラスチック片などなど、直ぐに袋は一杯になってしまい、追加のビニール袋が何枚も必要となった。

 次に多かったのが、意外だったが漁網やロープ類だった。短く裁断されたロープ類が目立った。

 意外に少なかったのが「燃えるゴミ」だった。木材や木片などは収集の対象から除外された(自然に対して悪影響を及ぼさないということからだろうか?)せいもあるが、それほど集まらなかった。

           

          ※ 浜益のふ頭では海釣りをしている人がけっこういました。

 浜益のように都市から離れた海岸でもプラスチックゴミが多かったというところに問題の深刻さがあるように思う。現在、世界ではマイクロプラスチックのことが大きな問題となっている。事実、今日の清掃でもプラスチック製品が細かく砕かれて小さなプラスチック片になっているものをたくさん収集した。 

 もう一つが漁業に使用されているであろう短く裁断されたロープ類である。ロープ類も今や麻製などではなく石油由来製品である。それが実に目立ったのだ。

          

          ※ 私たちの小グループだけでこの袋いっぱいのロープ類が集まりました。

 これは私の想像でしかないのだが、漁業者の方たちは漁業を行う様々な場面でロープを使っているはずである。その際にいろいろと細工をした際に余分な部分を切り落としているのではないだろうか?それが積もり積もっているように思えるのだ。

 海浜をきれいに保つことは漁業者にとって今や重要課題の一つでもあると思えるのだが…。石油由来製品である漁網やロープ類の扱いについて細心の注意を払ってほしいと願うのはお門違いの願いなのだろうか?

           

          ※ 主催者が用意してくれたブタ汁がことのほか美味しかった!

 心地よい海の風に頬を撫でられながらの一日は、心地よい疲れを感じながらの帰宅となった。

 反省会の席でどなたかが言った一言が印象的だった。 “海岸もきれいになりました。私たちの心もきれいになりました。”


十五代樂吉左衛門講演会

2018-10-20 21:39:58 | 講演・講義・フォーラム等

 楽焼の名家・樂家を継ぐ十五代が自らの楽焼茶碗について語った。それは「茶碗はアートか?」という自らの問いについて語るものだった。

  ※ 本日もまた、私の拙い文章を補うために、ウェブ上から掲載写真の全てをお借りしました。

 本日(10月20日)午後、道立近代博物館において現在開催されている「国立京都近代美術館名品展 極と巧 京のかがやき」の関連イベントとして、十五代樂吉左衛門が招かれ講演会を行った。

 門外漢の私はその人気に驚いた。午前中の聴講券の配布時には長蛇に列ができ、実際の講演会場も満員状態だった。(定員230人?)

                

               ※ 十五代樂吉左エ門です

 長身の十五代樂吉左衛門は静かに語りだした。

 氏は自らに問うように、はたまた聴衆に問うように「茶碗はアート(芸術)だろうか?」と問いかけ、そこから氏の茶碗に対する思い、芸術に対する思いを語り始めた。

 氏は「アートとは、さまざまな時代の中で、さまざまに価値観は変わっていった」とした。そして氏が思うアートとは「魂がゆさぶられること」ではないかと語った。

 その魂がゆさぶられるということは、あくまで主体性の問題であり、自分自身の心の奥から沸き立ってくるものであるとした。

           

          ※ 十五代の作品です。

 氏は東京芸術大学の彫刻科に学ぶが、芸術に対する疑問や迷いの中で葛藤するのだが、大学卒業後にヨーロッパに遊学する中で出会ったゴヤの画に出合い「魂がゆさぶられるような感動」を体験したという。

 さらにミレーやミケランジェロなどの画に対しても同様の感動をおぼえたそうだ。

            

           ※ こちらも十五代の作品です。

 そして氏は自らを、そうして感動した数々の作家の織物の縦糸、横糸に例え、自らはその織り糸の間にぽっかりできた穴に位置する存在ではないか、と語った。(このあたりの氏の詳細な思いは分からない)

 

 さらに氏は日本語の独自性についても語った、

 樂家の初代・長次郎の作品に黒色の楽焼茶碗がある。

 長次郎の「黒」が、なぜ黒いのかということは言葉では表現できないものであるが、言葉社会であるヨーロッパではその説明を求められるという。

          

          ※ 樂家初代の長次郎の作品です。

 しかし、長次郎の楽焼茶碗は言葉にはできない心の奥底の思いが形になったものだと氏は云う。

 そして、マルセル・デュシャンという芸術家が男性便器を持ち出して「泉」と作品名を付けて発表し、芸術論争になったことがあったそうだ。その時氏は、認識(言葉)を超えたもの、言葉を超えようとしているデシャンに対して、同じような思いを抱いたという。

           

          ※ 芸術論争を引き起こしたデシャンの「泉」という作品です。

 十五代は予定時間を超えて、その他にも様々なことを語ってくれたが、自らの作品について言及することはなかった。このあたりは芸術家の一つの矜持なのだろうか?

 最後に氏は、自らに、そして私たちに問いかけた「茶碗はアートか?」という問いに対して、「アートに接している」という独特の表現をされた。それは単なる茶碗は工芸の世界であるが、楽焼茶碗は単なる工芸を飛び越しているのではと語る。工芸は日常を超えてはいけないが、十五代が取り組んでいる楽焼茶碗は「日常を超えていく世界」であり「アートに接している」世界だとした。

 

 それは聴いている私からしたら、十五代の謙遜なのではと聴こえてきた。それは十分にアートの世界の作品と門外漢は思うのだが…。


近代美術館講座 2 彫刻家:椎名澄子は語る

2018-10-19 17:11:20 | 講演・講義・フォーラム等

 ブロンズ彫刻家として精力的に活動を続ける椎名澄子氏からお話を聴く機会を得た。ブロンズ彫刻の制作は私が想像していた以上に複雑な工程を繰り返した上に完成するものであることを教えられた。

  10月18日(木)午前、道立近代美術館のプレミアム講座の2回目の講義があった。この回は旭川短期大学で教鞭をとる椎名澄子教授「彫刻作品のできるまで」と題してお話された。

 椎名氏は東京芸大の彫刻科を卒業後、同大学院において彫刻専攻を終了された後、少し時間をおいて現在の旭川短期大学に職を得て、学生を指導するとともに、彫刻家として活動されているということだ。

                               

 椎名氏は最初に「ブロンズ彫刻の魅力」について話されたのだが、彼女は「幸せ、やさしさ、柔らかさ、…」といったものを硬質の素材(ブロンズ)で表現するのが魅力だと語った。

 さらに、彫刻作品一般についての魅力になかで「彫刻作品は不確かなもの」であることが魅力の一つである、と語っていたのも印象的だった。

                

           ※ 椎名氏の代表作(?)の一つ「風の子」三部作をウェブ上から拝借して掲載します。

 ブロンズ彫刻を含む彫刻作品の制作過程は次のような段階を経て完成するという。

  ① 着想

  ② 〇想(〇は不明)

  ③ 構想

  ④ 制作(作成 ⇔ 壊すの繰り返し)

  ⑤ 発表

 その中でも、制作の過程がブロンズ彫刻の場合は非常に複雑である。この工程について椎名氏は動画を用いながら詳しく説明されたのであるが、私の文章力ではとても再現できない。

 私が理解できたのは、粘土で原型を作成したのち、その原型を二つに割って外面、内面の両面に石膏を塗り付けて型を取るということ。さらには、その型を組み合わせてブロンズを流し込む型を作成すること、等々…。私の理解の範疇を超えた複雑な工程が求められるようである。(私の表現はかなりあいまいなので、正確に知りたい向きはネットなどを参照してほしい)

 ともかく大変な工程を辿った末に、あのブロンズ像が完成していることをぼんやりながら理解できたことは受講した一つの成果だったと受け止めたい。

                

        ※ 幼子が遊んでいるほのぼのとした情景を硬質のブロンズで表現しているところに作品の魅力の一つがあるようだ。

 さて、椎名氏は彫刻家として独り立ちすることの難しさについても触れた。

 その難しさについて、椎名氏自身のこれまでを振り返りながら紹介してくれた。それによると、

  ① 高校 美術科 or 美術部(椎名氏は高校の美術部)

  ② 美術予備校(椎名氏は予備校時代にテラコッタからブロンズに志向を変えたこともあり3年間の予備校生活)

  ③ 大学(東京芸大 4年間)

  ④ 大学院(東京芸大大学院 2年間)

  ⑤ 地元(札幌)に帰り創作活動(アルバイト生活)

  ⑥ 博士課程(取得)

  ⑦ 大学等に所属しながら創作活動(旭川短期大学)

  ⑧ 各種賞の獲得レース

 このように見ていくと、椎名氏が自活できるようになったのは大学に職を得てからではないだろうか?

                

 最後に、椎名氏は彫刻家・美術科の先達、佐藤忠良・安野光男の「子ども美術」という詩を提示し、美術教育の神髄に触れて講座を終えた。

 芸術家のお話は凡人の私のような者にとっては理解するのがなかなか難しい。しかし、これからも臆せずプレミアム講座を受講したい。


札幌麺紀行 132 ラーメン 味の三平

2018-10-18 19:56:34 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行

 札幌味噌ラーメンの元祖とも称される「味の三平」ということで期待して入店したのだが、年齢の高い私には「やや塩辛かったかな?」というのが正直な感想である。

 

 特別の話題がないときの救いの神が“食レポ”である。ちょっと以前のことになるのだが、ストックしておいた「札幌麺紀行」をレポすることにする。

          

「さっぽろだい・どん・でん」を見物していた時に空腹をおぼえた。私にとって初めてではなかったが、札幌味噌ラーメンの発祥の店と言われている「味の三平」を思い出した。

店は文具を扱う大丸藤井セントラルビルの4階に入居している。文具とラーメンではなんとなくミスマッチにも思えるのだが、「味の三平」はここで長く営業している。

「味の三平」はいつも行列ができることでも有名な店だが、この日も行列はなかったものの店内の待機席で待たされた。

           

あまり時間をおかずカウンター席(しかないが)に招かれた。メニューは基本的には味噌・醤油・塩を三種類である。私は迷いなく「味噌ラーメン」(850円)をチョイスした。

          

ほどなく出された味噌ラーメンは、他のラーメン店の味噌と比べるとスープの色は薄く見える。

例によってスープを一口含むと、「う~ん、旨い!」という感じだ。色に似ず脂分も十分で濃厚な味が口の中に広がる。

麺は西山ラーメンのちぢれ麺がよくスープにからんで上々である。

           

ところが…。時間が経つにつれて、スープが濃厚というより、塩辛く感じ始めた。

私の隣に座った若い男性も、最初は「旨い!」と連れの女性に発していたが、後半はだんまりしてしまったのは、あるいは私の同じ感覚になったのかもしれない。

麺を残すことなく最後まで食べ終えることができたが、終わりの方は少々辛かった。

そう感じるのが私だけだったたら良いのだが…。

          

          ※ このスープが後半は塩辛く感じて、少々辛かった…。 

【ラーメン 味の三平 データー】

札幌市中央区南1条西3丁目2 大丸藤井セントラルビル 4F

電  話   011-231-0377

営業時間   11:00~15:00

       16:00~18:30頃 

定休日    月曜日・第2火曜日

座席数    13席(カウンター席のみ)

駐車場    無

入店日   ‘18/09/16

 


定山渓の紅葉 今年は不作?

2018-10-17 18:52:46 | 環境 & 自然 & 観察会

  期待して訪れた定山渓の紅葉だが、う~ん、はたして今年の紅葉具合はどうなのだろうか? 私の期待が大き過ぎたのだろうか? 思ったほどではないと感じたが、それでもいくつかの紅葉風景を写真に収めてきた。

 

 今日(10月17日)、定山渓で退職組織の会議があり参加した。会議も重要だったが、同時に私にとっては定山渓の紅葉が見頃では?という期待感があった。というのも、一昨年の同じ時期に定山渓を訪れたときに素晴らしい紅葉に感激した思い出が蘇ったからだった。 

 私は会議前の時間、昼食休憩の時間を利用して計1時間30分ほど定山渓の街をあちこちと歩き回り、紅葉風景を見つけて歩いた。

 しかし、今年の紅葉はイマイチに感じた。地元の人に聞くと、紅葉時期も終盤だということだったが、どうも今年は気温などの関係もあって色付きが良くなかったようだ。

 それでも私はカメラのシャッターを押し続けた。その中から17枚ほど選んで掲載することにした。

 ウェブ上でひと時の紅葉狩りを!

           

          

          

               

          

          

          

          

          

          

          

          

          

          

          

          

          

        ※ ラグビーのクラブチームの名門「バーバリアンズ」の本拠地グランドを初めて訪れました。自然芝の2面のコートが広がっていました。


輝き続けているジュディ・オングさん

2018-10-16 19:59:14 | 講演・講義・フォーラム等

 美人の誉れ高いジュディ・オングさんは年齢に違わず輝き続けていた。ジュディ氏は本業だけではなく、多岐にわたっていろいろな活動をされているという。今回は日本介助犬協会のサポート大使として来札し、講演するのを聴くことができた。 

 10月14日(日)夜、かでるホール(北海道立道民活動センター)において、札幌市小動物獣医師会が主催する「市民公開講座2018 ~心のバリアフリー・輝いて生きる~」が開催されるのを知って参加を申し込んだところ、参加することができた。

  

講座は二部構成で、第一部は「身体障がい者補助犬を知っていますか?」と題しての各種補助犬のイベントが催され、第二部が「輝いて生きる」と題するジュディ・オングさんの講演だった。

 

 第一部の補助犬イベントでは、盲導犬、介助犬、聴導犬の三種の補助犬のデモンストレーション、そしてその補助犬を利用するユーザーの方々へのインタビューが行われた。

          

          ※ 写真左から、盲導犬、聴導犬、介助犬です。(札幌市小動物獣医師協会HPより)

 盲導犬は札幌においても盲導犬協会があるなどある程度認知度があり、私もその存在を知っていた。ところが介助犬、聴導犬については恥ずかしながら私はその存在を知らなかった。

 

 介助犬については、肢体不自由者の生活を補助する働きをする犬である。ユーザーが求めるものを手元まで持って来たり、落としたものを拾ったりするなどの補助する様子をデモンストレーションしてくれた。国内にはまだ68頭しか存在せず、道内にはわずか2頭だけという。

 

 聴導犬は聴覚障がい者に対して、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く補助犬である。聴導犬はさらにその数が少なく、どちらもこれからの普及が待たれているようだ。

 そして両者ともに社会での認知度を上げてゆくことが課題だということだ。

 ユーザーの方々も、口々に「その存在を知ってほしい」、「街で見かけたら声をかけてほしい」と訴えていた。

 私にとっては新しい知見を得ることができた有益な講座だった。

 

 第二部はメイン(主催者としては第一部がメインだったのかな?)のジュディ・オングさんの講演である。私が今回受講を決めたのはジュディ・オングさんを間近に見てみたいという俗っぽい動機だったから、私にしては珍しくステージ前から3番目の席に陣取った。

               

               ※ 同じく札幌市小動物獣医師協会のHPから拝借しました。

 ジュディさんは緑色のジャケットに黒の革製パンツを着用して颯爽と登場した。間近に見てもとても68歳とは思えない若々しさである。ただ、私が想像していたよりは小柄な女性だなという印象をもった。というのも、私の中ではあの大ヒット曲「魅せられて」で歌うジュディさんのドレス姿から、想像が勝手に膨らんでしまっていたようだった。

 

 ジュディさんの話は、その「魅せられて」のことから始まった。彼女は「魅せられての」の大ヒットによって芸能人としてさまざまな成功を得ることができたことを、裏話なども交えて聴衆を意識し、サービス精神旺盛に語ってくれた。

 そして本題に入っていった。

 

 彼女は大きく二つのことを話された。

 一つは「夢をもって生きる」ことの大切さを説いた。ジュディさんには版画の趣味であったが、20代は多忙の中でなかなか版画制作に時間を取れなかったが、版画制作への夢は捨てなかったという。彼女は多忙の中でも版画制作に取り組み、指導者から「日展」への挑戦を助言され、迷った末に「やらないということは、自分の可能性をゼロにする」と考え「やってみよう」と果敢に挑戦したところ「夢がそこに見えた」という。

 そして彼女は見事「日展」入選を果たすなど数々の賞を受賞し、版画家としても認められる存在になったという。

 

 二つ目は彼女が日本介助犬協会のサポート大使をはじめ、ポリオ撲滅大使、ワールド・ビジョン・ジャパン親善大使など社会活動にも積極的に関わっているという。それは彼女の父親からの影響が大きいという。

 彼女は父親から教えてくれた二つの詩を紹介してくれた。しかし、一つ目の詩はメモすることができなかったが、意味するところは「食事は腹七分目で満足しよう。誰とでも対する人とは良い関係を作ろう。善いことを尽くすことは快楽である。そうすることで人は健康となれる」というような意味の詩だった。

 もう一つは「悦己悦人」という詩というより、中国に伝わる言葉である。その意味するところは「自分も悦び、他人も悦ぶ」ということだ。

 彼女はこうした父親の教えを支えに、社会活動の取り組んでいるということだ。

 

 彼女は「輝いて生きる」ために、「夢を持って生きること」「誰かのために生きること」の大切さを説いてくれた講演会と受け止めた。

 それにしても、ジュディ・オングさんは輝いていた!!


お薬が多いと感じていませんか?

2018-10-15 16:39:15 | 講演・講義・フォーラム等

 最近、病院で処方される薬の量が多いと感ずることはありませんか?と講師からの問いである。高齢化に伴い薬の処方量が増えているという。中には必要のない薬も含まれているようなのだ。ポリファーマシーについて考えた。 

 10月13日(土)午後、かでる2・7において西円山病院が主催する「地域で暮らす高齢者のための医療公開講座」の10月講座を受講した。

 今回はお薬が多いと感じていませんか?」と題して、同病院の二人の薬剤師の方が講師を務めた。

               

 最初は富田昌志薬剤師「病院の薬剤師さんって何してるの?」と題して話された。

 病院の薬剤師は①調剤、②服薬指導、③医薬品情報の収集・研修、④チーム医療への参画、といったことを職務とされているとのことだった。

 私たちが知る薬剤師は主として街中にある「調剤薬局」に努めている方という印象が強いが、それは通常病院に通院されている患者さんを対象としている薬剤師で、病院勤務の薬剤師は主として入院患者のための薬剤師という役割を担っているとのことである。

                

 続いて、阿部孝行薬剤師「ポリファーマシー 薬が多すぎると、良くない?」と題して話された。

 「ポリファーマシー」とは、「たくさんの医薬品」と訳され、日本では「多剤療法」とも称され、その弊害が論じられるようになったそうだということだ。

 それは、高齢化によって、病気が増えるに従い薬の量も増えてくる。ところが高齢化によって内臓が弱ってきているのに薬の量が増えることは薬の影響が強くなることによる弊害が考えられ、その現象を「ポリファーマシー」という言葉で表現されるようになったという。

 

 続いて講師はポリファーマシーの現状と、ポリファーマシーを理解するキーワードを次々と紹介した。そのキーワードとは「処方カスケード」「漫然投与」「薬物相互作用」「PTPシート」「一包化」「コンプライアンスとアドヒアランス」等々の言葉である。

 

 阿部氏が関与した患者で6種類の薬を毎食後投与されている患者が「薬が多くてお腹いっぱいになっちゃう」という患者がいたそうだが、調べてみると初めに投与した薬が効かなかったために、次々と新しい薬を追加して投与されたが、以前からの薬も継続していたという。しかし、以前に投与していた薬は必要ないのではと考え、投与を中止しても影響はなかったという。これは「漫然投与」の例の一つだという。

 

 続いての例は、肝硬変で入院していた患者が咳と微熱の症状が出たため、その対策の薬を処方したところ高血圧の症状が出てきたので、次には血圧降下の薬を処方したという。それでも血圧は降下しなかったそうだ。原因は解熱剤が高血圧の原因だったという。

 この例のように、ある薬の副作用に対して新たな薬が処方されること、さらにそれが連鎖することを「処方カスケード」と称するという。

 

 現在の薬は、「PTPシート」で供されている。PTPとは「 錠剤やカプセルをプラスチックとアルミで挟んだシート状のもの」を指す。阿部氏が接した患者は実に15種類の薬が処方されていたらしいが、あまりに多いために医師の指示通りに服用していない事実が明らかになったという。そこで同じ時間に服用する薬を一つの包にまとめて服用するようにすることが「一包化」ということだそうだ。

                

               ※ 良く目にする薬はこうして梱包されPTPシートと呼ばれるそうです。

 続いて、「コンプライアンスとアドヒアランス」について種々説明されたが、結論的には次のようにまとめられるようだ。

「コンプライアンス」とは「遵守」と直訳されるが、医療においては「医療者の指示通りに処方された薬を服用すること」を差す。

これに対して「アドヒアランス」は「執着」と訳されるが、医療においては「患者が積極的に薬剤の決定に参加し、その決定に従って治療を受けること」とされ、そのことが薬の量を減らすための方策の一つであるとまとめられた。

 

私もいずれかは、複数の病気に罹ったり、入院したりというケースがあるかもしれない。その際には、ただ医師の指示に従うだけではなく、自分が罹患した病気を理解し、処方される薬にも関心を持たねばならないことを教えられた今回の講座だった。


近代美術館講座 1 美術館と博物館の学芸員の見方

2018-10-14 15:49:04 | 講演・講義・フォーラム等

 同じ美術品を見ても、美術館の学芸員と博物館の学芸員では、見えているものが違うという。美術館は美術的価値に着目するが、博物館は美術作品の中の人の歩みに着目するという。説得力あるお話だった。

          

          ※ 近代美術館の導入路は左右にあるため、この角度から見る近代美術館は私には珍しい角度です。

 10月11日(金)午前、北海道立近代美術館で「近代美術館プレミアム講座」が始まった。(5回シリーズである)“プレミアム”と冠を付けたのは、近代美術館ではすでに講座を開催していて、受講者の中から「さらにレベルの高い講座を!」との要望を受けて開催することになった経緯からだと説明があった。美術に関してはまったく疎い私であるが、興味あるテーマが並んでいたことと、会場が我が家から近いこともあって受講を決めた。

 

 第1回目は、「モノは同じでも見えているものは違います ~もしも博物館学芸員が美術品を扱ったら~」と題して、小樽市総合博物館の石川直章館長が講師を務めた。

                  

                  ※ 石川氏のHPから借用したものです。

 石川氏ははじめ美術館と博物館は同じ「博物館法」に定義される施設であるという説明から、美術館と博物館の類似性と異なる点について論及したが、その点については省略したい。

 

 私が石川氏のお話に興味を抱いたのは、「形態は機能に従う」「用の美」という言葉だった。

 この言葉は、博物館が収集する土器や石器、民具などに作者はけっして美を求めていたわけではないが、使われることを考えて作られ。それが使われることによって輝きが増し、美へと昇華していったものが多い、という意味から生まれた言葉と解した。

 

 続いてこの日のテーマでもある美術館でも、博物館でも扱う美術資料について両者の見方の違いについてのお話となった。

 両者が共に扱う美術資料としてアイヌの風俗画があるが、美術館は美術的な価値云々でその画を判断するが、博物館はその画の中に描かれているアイヌの生活の様子など、そこから歴史を読み解く資料としての価値に重みを置くということである。

 また、錦絵についても同様のことが言えるとした。

              

             ※ この画は講座で紹介されたアイヌの風俗画ではないが、博物館では画に書かれた文章にも

                   当然関心の目を向けるという。

 お話を聴いていて「なるほど」と得心することが多かった。

 しかし、美術館にとっても、博物館にとっても価値ある美術資料がそれほど多いとは思われないのだが、実際はどうなのだろうか?

 


石狩川河岸遡行トレッキング 5

2018-10-13 16:09:39 | 石狩川河岸遡行トレッキング(夏バージョン)

月形町 ⇒ 奈井江町  トレッキング期日 ‘18/10/9

 前日に続いて二日続けてのトレッキングは久しぶりである。朝ホテルの窓から外を見ると雨がそぼ降っていた。「参ったなぁ…」と思っていたが、ほどなく上がって予定どおりスタートした。前日の疲れは残ったままだったが…。

 

 朝、ホテルで朝食を摂っていたらスタートが遅くなるので、前日コンビニで仕入れた菓子パンをお腹に押し込み、6時30分にホテルを出、およそ30分かけて昨日のゴール地点の「月形大橋」の袂に立った。石狩川はそぼ降る雨の影響もあってだろうか?油をたらしたような滑らかな水面を見せていた。

           

          ※ 朝の石狩川はべた凪状態で、滑らかな水面を見せていました。

 石狩川の堤防は完全にローカル色いっぱいの雑草が生えて、車の跡だけが土が見えているという田舎道路の様相を呈していた。

 トレッキングを始めて直ぐに雨が落ちてきた。慌ててザックをカバーで覆い、傘を取り出して進んだ。幸い長い雨とはならずに済んだのは幸いだった。

           

          ※ スタート直後の堤防の様子です。前方がかすんで今にも雨が降りそうな様子でしたが、この後雨が降ってきました。

 月形大橋から少し行ったところに、ハクチョウやマガンがシベリアから南の地へ渡る際の中継地として有名な「宮島沼」がある。その宮島沼から稲刈りが終わった田んぼにたくさんのマガンたちが飛来して落穂を啄んでいた。

 ずいぶん昔の話になるが、2011年の10月に私も宮島沼のマガンの「ねぐら入り」「ねぐら発ち」月形温泉ホテルに宿泊しながら観察に来たことがあるが、そのことを思い出していた。

 今年は10月10日で45,000羽のマガンが飛来しているという。

          

          ※ たくさんのマガンが落穂を啄んでいました。

          

           ※ 上の写真とは違ったところですが、マガンが飛び立つところを写すことができました。

 落穂を啄むマガンたちの姿を後にし、堤防と並走していた道路と別れると、堤防は石狩川に注ぐ美唄川の堤防へと変わっていく。できれば美唄川のような支流が石狩川と合流するところを見たいのだが、そうしたところは川べりの灌木に遮られて一度も見ることができないのが残念である。

 やがて美唄川に架かる「元村橋」を渡った。この時点で10時45分、スタート(ホテルを出てから)から4時間が経過していた。ここで小休止を取ることにした。

           

          ※ 「元村橋」ですが、この橋の袂の写真に見えるコンクリートブロックの上で小休止しました。

          

          ※ 美唄川の流れです。見たところは細いですが、実際の川幅は灌木に隠れていて良くは分かりません。

 元村橋を渡ってから、一時一般道路を歩き、今度は美唄川の支流にあたる酸化美唄川に架かる「弘法橋」を渡った。この橋を渡ると再び石狩川の堤防に出られるのだ。

          

          ※ 産化美唄川に架かる「弘法橋」です。

石狩川の堤防に向かうとき、またまた石狩川の直線化工事で取り残された(?)「伊藤沼」があった。この沼はこれまで初めて沼の直ぐ近くまで寄って写真を撮ることができた。

           

          ※ 石狩川沿いでたくさん出会った石狩川が遺した沼の一つ「伊藤沼」です。

 伊藤沼から堤防に上がろうと右往左往しているとき、今回のトレッキングで初めて他人と会話を交わした。近くの農家の方だったが「どこまで行くの?」と聞いてきた。私は「今日は奈井江までです」と答えると、呆れたような、驚いたような顔をしていた。「物好きな者もいるなぁ」と思われたのかもしれない。           

 近くには「菱沼」という沼もあったが、こちらは写真を撮るには適した沼ではなかった。ともかく、この辺りは右岸も左岸も昔の石狩川から切り離された沼がほんとうにたくさん存在している。こうした沼が周辺の農業にどのような影響を及ぼしているのか興味深いところである。

           

          ※ 写真のような風景が延々と続いていました。

          

          ※ 堤防上にはほとんど山野草に出会わなかったのですが、この花はところどころに咲いていました。

          

          

          ※ 堤防上で不思議な標識に何度も出会いました。横木の腕の左右の長さが違ったものです。いったい何でしょうか?

 菱沼を過ぎると、黄色い真新しい橋が視界に入ってきた。平成7年に修正し、平成9年に発行された国土地理院の地形図にはその橋は載っていなかった。そのためライブレポでは橋の名を書けませんでしたが、橋の傍を通ったときに「美浦大橋」と記されていて確認することができた。美浦大橋は平成23年に完成・開通した新しい橋でした。

          

          ※ 美唄市と浦臼町を結ぶ「美浦大橋」です。

 美浦大橋を過ぎたあたりから足底筋に痛みが出てきた。ここまで歩行距離も20キロを超えていたので、樋門のところのコンクリートブロックのところで昼食ポイントとすることにした。昼食はコンビニおにぎりを頬張ったがあまり美味しくはなかった。

           

          ※ こうした水利施設の一つ「樋門」に数多く出会いました。

 30分の休憩で足を休ませたこともあって、歩くスピードは元に戻ったように思われた。堤防からの景色は相変わらず変化がない。美浦大橋の手前で堤防の管理をする車と出会ったが、その車にはその後も二度も行きかった。彼からも「物好きな者がいるなぁ」と思われたのだろうか? 

          

          ※ これだけ大きな糞を落としていったのはいったいどんな動物でしょうか?まさか山オヤジさんではないですよね?

 堤防脇に大きな白い建物があった。マップでは「下水道浄化センター」とあった。おそらく美唄市の施設と思われる。

          

          ※ 美唄市の「下水道浄化センター」です。

 そこを通り過ぎると、支流の奈井江川の堤防となった。これまで同じように奈井江川が石狩川と合流する地点を確認することができないのは残念である。

 堤防上はすっかり雑草に覆われた。しかし、その分ジャリが見えなくなり足には優しい道となった。

          

         ※ いよいよ堤防は草に覆われてしまいました。

 やがて堤防は、奈井江川の支流となる茶志内川へと別れるが、分かれてすぐに茶志内川に架かる橋を渡り、再び奈井江川の堤防に移る。

 奈井江川の対岸には「奈井江火力発電所」の赤白の高い煙突が視界に入ってきた。さらに遠くには砂川火力発電所の煙突も望める。

 二つの火力発電所が極めて近隣になぜ建設されたのだろうか?その昔盛んに産出された空知の石炭が関係あるのではと考えた。帰宅して調べてみると、砂川が1955年、奈井江が1968年に、やはり空知の石炭を燃料とすることを前提に建設されたようだ。今はほとんど石炭は産出されていないはずだから燃料は石油に依存しているのだろうか?

           

          ※ 「奈井江火力発電所」の高い煙突が奈井江川の川向うに望まれました。

 その後、奈井江川は石狩川から離れ奈井江の街に向かって延びている。奈井江川に架かる橋もない。ということで、今回はそのまま奈井江の街に向かい、奈井江駅をゴールとすることにした。

 堤防の道は奈井江の街に近づくにつれて酷くなってきた。車の通った跡もなく、まるでブッシュ地帯を往くような様相となってきた。

          

          ※ 奈井江の街に近づくにつれて、堤防上はますます酷い状態となってきました。

          

          ※ 奈井江川に架かる橋(橋の名は?)を渡って、一般道に避難しました。

 本来はギリギリまで堤防を歩く予定だったが、あまりの酷さに一般道路に避難し、奈井江駅に向かったのだった。

 

 結局、奈井江駅に着いたのは15時20分だった。この日の歩行距離は31.5キロ。

          

          ※ この日のゴールに設定した「奈井江駅」です。

 現地の状況がはっきり掴めないままのスタートだったが、なんとか予定どおり計画をこなすことができホッとしたのが本音である。

 

 ここまで、「冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング」では石狩川河口から10日かかっている。対して今回の「夏の石狩川河岸遡行トレッキング」では5日到達している。

 ちょうど2倍のスピードである。もう少し夏の場合は速くてもいいような気がするが、こんなところかもしれない。来年どちらも「大雪ダム」にゴールしたいものである。

 そうした明確な目標を持つことができるのが河岸トレッキングの魅力の一つである。

 


札幌文化芸術劇場 hitaru 拝見!

2018-10-12 16:53:25 | 札幌(圏)探訪

 鳴り物入りで建設されていた(?)「札幌文化芸術劇場hitaru」がさっぽろ創世スクウェア内に本日オープンしたので、早速駆け付けてみた。なるほど素晴らしい施設である。特に4層構造の観客席がまるでヨーロッパのオペラ劇場を思わせる造りだ。果たして専門家の評価は?

 

※ 本来であれば、昨日に続き「石狩川河岸遡行トレッキング 5」のレポを投稿予定だったが、本日の話題は旬な話題ということで、割り込ませてレポすることにした。

 

 札幌ではこれまでにない最高の舞台芸術を鑑賞する場として「札幌文化芸術劇場hitaru」がHTB創世スクエアまつり hitaru で on 披露目・ステージデビュー!」と題して市民に開放された。

 新しもの好きとしては人後に落ちない私である。さっそく駆け付けてみた。

 すると、私と同じような種族がいるわ、いるわ…、たくさんの市民が詰めかけていた。それだけ期待が大きいということだろうか?

 

 本日はhitaruだけではなく、低層棟と称される札幌文化芸術交流センター、札幌市図書館・情報館も同時にオープンされていた。

           

          ※ hitaruの入口のところに掲げられていた落ち着いた感じのエンブレム(?)です。

 さて、「札幌文化芸術劇場hitaru」である。

 入口からエスカレーター、またはエレベーターによって4階へ上がると、そこがhitaruのエントランスである。なかなか落ち着いた雰囲気のエントランスである。

          

          ※ エントランス部分には緑色のカーペットが敷かれていました。右側はクロークです

 そこからさらにエレベーターで上がると、そこがようやく劇場の一階部分に当たる。

 観覧席に入る前のホワイエも赤いカーペットが敷き詰められ、鑑賞への期待感を増幅させてくれる雰囲気である。

           

          ※ 2・3階部分のホワイエです。渋い赤色のカーペットが落ち着きと華やかさを演出(?)しています。

 そのカーペットを踏みしめながら案内嬢に促されて重い扉を押し開けると! ジャーン! そこには素晴らしい空間が広がっていた!全体が渋茶色系の落ち着いた色合いでステージを取り囲むように客席が配置されている。全席2,302席とか…。特に4層に分かれた階段状の客席が新鮮である。前述したようにまるでヨーロッパのオペラ劇場をほうふつとさせる。

           

          ※ この角度からの客席の様子がもっともhitaruの客席の様子を感じることができる一枚です。

 私は高層階からステージを見てみたいと思った。しかし、本日は2階部分までしか開放していないとのこと。そこで2階部分からステージを見てみることにした。

          

          ※ 2階席に移って座席を写しました。座席も渋い赤系統で落ち着きを感じさせます。

 すると、2階部分の前席の方だと全体が見渡せて、かえって1階部分より良く感じたのだがどうなのだろうか?(ということは、3階、4階でも前方の席は良い席となるが…)

          

          ※ 2階前方の席からステージを望んだところです。最も会場全体が見渡せそうな席に思いましたが…。

 ステージでは市内のアマチュアアーテストが次から次へとさまざまなパフォーマンスを繰り広げていた。私が行ったときには、競技社交ダンス、フルートの演奏などが行われていた。

          

          ※ 2階席から、3階、4階を望んだところです。

 一見したかぎり、期待に違わぬ素晴らしい劇場が誕生したと思う。あまり高尚なステージは私には縁遠いが、そうしたものばかりではないだろう。時にはこの新施設で鑑賞を楽しんでみたいものである。

 ところで、素人目からではなく、ステージで演じたり、演出したりする側から言わせると新施設はどうなのだろうか? その評価はこれから下されるのだろうが、一札幌市民としては良い評価が下されることを願いたいものである。

          

          ※ 札幌市図書館・情報館の一部です。たくさんの人たちが読書を楽しんでいます。

          

          ※ 同じく図書館・情報館のREADING ROOMだそうです。

 さらには、「hitaru」という愛称についてはどうだろうか?

 札幌市内では「キタラ」、「かでる」、「ちえりあ」などは市民権を得たように思えるのだが、「ヒロバ」と名付けられたのはどこだったっけ?というような施設もある。「hitaru」はどうかなぁ~?