鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

急に眩しくなってきた、蒸し暑くも

2020-07-31 14:22:45 | 思いつくまま

 

今午後2時2分過ぎ。さてこれからブログを書こうかとしている時です。何をどう書き出そうか、悩みます。書き出しがそれなりにうまくいくと、内容の是非はともかく、いい悪いは別にして、その後はいろいろと書くものが出てきます。浮かんできます。

 

というか、私の癖?として書きながら考えていく、考えながら書いていくからかな。そんなにかっこいいことじゃないのにね。悪戦苦闘している、悩んでいる、やめたくてもやめられない、どうしたらいいのかよくかつ深く考えないままに今日もパソコンに向かっている、というべきなのかも。

 

きょうの東京都の発表では新型コロナ感染者は460人とか。きのうは367人で、それだけで大騒ぎしたのに、きのうを約100人もオーバーしてしまいました。きょうの発表の内容というか実際の検査は三日前くらいのものと言いますから、明日の発表はもっと増えているかもしれないわけです。

 

好きではないですが、小池都知事は何のかんの言われながらもよく動いてはいますね。知事として表に出ざるを得ないのでしょうが、それでも第一線で動き回っています。どこかのお坊ちゃまの誰かさんのように”巣ごもり”している暇なんかありません。

 

なんでも長州の独裁者は、海の日やスポーツの日からの4連休に27・28・29日の三日間を加えて1週間の夏休みを取るつもりだったようですね。犬を抱いてコーヒーを飲んでくつろぐつもりだったのでしょうか。でも、8月の後半にはしっかりと夏休みをとるらしいとのことです。msnニュースからです。

 

夏休みと言えば、あしたから東京都や横浜市、さいたま市では子どもたちは夏休みにないるということですが、仙台では8月8日から18日までが夏休みということになります。でも小学校の8月の行事予定表によると、11日間とはいっても正式な?夏季休業日は17日18日の二日間だけとなります。

 

どういうことかというと、土曜日や日曜日、祝日、4日間の閉庁日が入っているからです。子どもたちにとってはそんなことはどうでもいいことですがね。明日から8月か。8月問えば夏本番ですよね。とても夏を迎えるという気持ちにはなれませんが、それは7月の仙台の日照時間が50時間に満たなかったことも一因でしょうね。6月はとっても暑かったが、7月は涼しかったというのが率直な気持ちです。

 

黒い雨訴訟、原告の全面勝訴でよかったですね。同じ黒い雨でも、大雨地域と小雨地域とで被爆者援護法の援護の対象にするかしないか線引きするなんて、そもそもそういう線引き自体が間違っています。国は少しでも医療費をはじめ国負担の費用を抑えようとしすぎます。

 

行政はこの判決を受け入れて控訴なんかしないでほしいと切に思います。この判決を機に改めて先の大戦をきちんと見つめなおし、反省してほしいものです。でもなあ、となりの長州の独裁者は日本は悪くないと思っているのだろうし、何とかして戦前の日本を復活させようともくろんでいるのでしょうから、その意をまたしても高級官僚が忖度して控訴するのかもなあ。

 

 (亀は見当たりませんでした。)

75年前、国が始めた戦争で、原爆投下という理不尽極まる、人道に反する、極悪非道な、一般市民を対象とした無差別放射能攻撃に見舞われたわけです。これは東京大空襲にもいえることですね。判決を機に私が持っている原爆関係の本を探したのですが、井伏鱒二の「黒い雨」は見つかりませんでした。

 

文庫本等が見つかったのですが、1945年昭和20年8月4日5日の状況について、私としては初めて知ったことがありました。ちょっと長いですが、読んでください。

 

『全国の都市が夜を日についで焼き払われ、敗戦の様相が日増しに濃くなってゆく状態の中で、理由の分からぬままに残される不安におびえていた広島も、八月五日の夜、いよいよ広島を焼き払うとのビラが撒かれたというので市民たちは、周辺の山や畑に逃れ、夜半、広島湾上空に侵入したB29の大編隊が、広島を襲うとみせかけ山口県光市の方へ飛び去ったのち、明け方、ほっと安堵しつつ家に帰り朝食を済まし、出勤者や学校の生徒たち、隣組や近郊からの義勇隊など多数の人々が市の中心部に向って一日の行動を開始したとき、しかも一部の留守部隊が残っておる兵営があるほかは、学校、官庁、病院、銀行、会社、教会、寺院、商店街と住宅の密集した中心地帯にむけて、いきなりTNT二万トン爆弾より強力で、グランド・スラムの二千倍以上の爆破力といわれ、また、「太陽の力が源泉となる勢力」とアメリカ大統領が誇ったエネルギーが放射されたのである。』(「原子雲の下より」峠三吉・山代巴編 初版1952年の青木文庫定価150円 手持ちは1970年の三版です。)

           

広島市の人口が最大になるように見計らって、朝の8時15分に原爆を投下したわけです。ここには絶対に人種差別的な考えがありますよね、どうせ東洋人だ、劣等民族だみたいな。白人のドイツ人なら拙いけど、黄色人種なら良心の呵責も感じられないだろうという人種差別。というか白人中心主義がありますよね。

 

東京大空襲だって、紙と木で都市の模型を使って延焼実験をしていたり、東京市民を火炎で取り囲み逃げ場をなくしてから集中爆撃をして皆殺し焼き尽くす。根底には同じ思想が流れているような気がします。

 

 この頃こういう不逞の輩はいなくなったなと喜んでいたのに・・・・・。

 

       

 


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