小樽「みよ福」
小樽の都通商店街の真ん中あたりをほんの少し北に坂を下ったところにある「みよ福」。雑誌などを参考にして、寿司や通りの「**寿司」をみたが、寿司屋が並ぶ中での一軒。鼻がきかず、パス。つづいて、稲穂の「**」にいったが、なかなか良さそうなところだったが、予約で一杯とのことで断念。
そこで、しばらくほっつき歩いてたまたま見かけたのが「みよ福」。はっきり言って、薄汚い(関係者の方・ファンの方、ごめんなさい)。たとえば、カウンターは、色が変わっている。必ずしも、清潔とは言えない(ハエが舞っている)。しかし、ここが肝心なのだが、小樽の寿司のそこの深さというか、ネタの新鮮さを思い知った。
おやじの技術(ちょっと雑)を超越したネタの新鮮さ。たとえば、どこかの町でふらりと入った寿司屋で一ひねりある新鮮なネタが出てくるかというと、これは、ほとんど絶望であろう。よく言えば、職人の腕でカバーするしかなかろう。しかし、小樽は違った。
親父の技術を超越したネタというべきか。「みよ福」は、我々のような一見さんも訪れようが、むしろ、地元のひとの多く通う店と見た。
この日は、ルスツ、ニセコを経由して、余市のニッカの工場を見学し、竹鶴政孝の功績を知った。これについては、別稿。
この日は、盛りだくさんで、余市のニシンの潮来(くき)でにぎわった時代の建物、「福原漁場」と「下余市運上家」を見学し、係員の方(ボランティアの方もふくめ)の説明を聞いて大変勉強になった。ニシンが大量にとられ活況を呈した町。その背景は明治維新ののち、北海道開拓に関連する政治経済的なもので、また、明治以降の日本の経済の急成長とも関連する。おそらくはその結果としてニシンの生物資源を取り尽くしてしまった環境問題であるとの理解をしたが、しかし、どの展示も活気ある余市や小樽そのたの町の人々の暮らしについてのノスタルジアがほぼすべてであった、そのあたり、いかがなものかと思えた。
そこで、しばらくほっつき歩いてたまたま見かけたのが「みよ福」。はっきり言って、薄汚い(関係者の方・ファンの方、ごめんなさい)。たとえば、カウンターは、色が変わっている。必ずしも、清潔とは言えない(ハエが舞っている)。しかし、ここが肝心なのだが、小樽の寿司のそこの深さというか、ネタの新鮮さを思い知った。
おやじの技術(ちょっと雑)を超越したネタの新鮮さ。たとえば、どこかの町でふらりと入った寿司屋で一ひねりある新鮮なネタが出てくるかというと、これは、ほとんど絶望であろう。よく言えば、職人の腕でカバーするしかなかろう。しかし、小樽は違った。
親父の技術を超越したネタというべきか。「みよ福」は、我々のような一見さんも訪れようが、むしろ、地元のひとの多く通う店と見た。
この日は、ルスツ、ニセコを経由して、余市のニッカの工場を見学し、竹鶴政孝の功績を知った。これについては、別稿。
この日は、盛りだくさんで、余市のニシンの潮来(くき)でにぎわった時代の建物、「福原漁場」と「下余市運上家」を見学し、係員の方(ボランティアの方もふくめ)の説明を聞いて大変勉強になった。ニシンが大量にとられ活況を呈した町。その背景は明治維新ののち、北海道開拓に関連する政治経済的なもので、また、明治以降の日本の経済の急成長とも関連する。おそらくはその結果としてニシンの生物資源を取り尽くしてしまった環境問題であるとの理解をしたが、しかし、どの展示も活気ある余市や小樽そのたの町の人々の暮らしについてのノスタルジアがほぼすべてであった、そのあたり、いかがなものかと思えた。