『徳川将軍家十五代のカルテ』

篠田達明、2005、『徳川将軍家十五代のカルテ』、新潮新書
上野寛永寺や芝増上寺の徳川家墓所に埋葬された歴代徳川将軍らの人類学的調査および三河大樹寺の位牌の高さ(将軍の身長にあわせてつくられたという)によって将軍たちの身長から解き明かし、彼らの病歴および死亡理由を分析することによって、徳川時代の疾病観や人間観を明らかにしようとする。
徳川歴代の将軍職は、長子相続であって宗家に血が途絶えれば御三家後三卿家から養子が招かれた。また、将軍の生母は正室ではなく側室で、多くは貴族や武家の出身ではない。新たな血を導入することが、徳川家の存続を助けたようである。
長子相続は、結果として病弱や障害者の将軍を生んだ。徳川譜代の側近たちは、長子よりもその弟のほうが優れた資質を持つ場合にあっても、長子相続体制を維持し、制度を遵守するといういわば「法治主義」の大方針をとることによって、徳川体制の正統性をまもったともいえる。
著者の徳川家十五代のカルテは、現代に生きるわれわれにもさまざまな教訓を導く。普段の食養生が健康体を生み、そして、逆に当時の疾病観がかえって寿命を縮め、素人の生半可な薬に対する理解が同様の結果を生んだのである。
上野寛永寺や芝増上寺の徳川家墓所に埋葬された歴代徳川将軍らの人類学的調査および三河大樹寺の位牌の高さ(将軍の身長にあわせてつくられたという)によって将軍たちの身長から解き明かし、彼らの病歴および死亡理由を分析することによって、徳川時代の疾病観や人間観を明らかにしようとする。
徳川歴代の将軍職は、長子相続であって宗家に血が途絶えれば御三家後三卿家から養子が招かれた。また、将軍の生母は正室ではなく側室で、多くは貴族や武家の出身ではない。新たな血を導入することが、徳川家の存続を助けたようである。
長子相続は、結果として病弱や障害者の将軍を生んだ。徳川譜代の側近たちは、長子よりもその弟のほうが優れた資質を持つ場合にあっても、長子相続体制を維持し、制度を遵守するといういわば「法治主義」の大方針をとることによって、徳川体制の正統性をまもったともいえる。
著者の徳川家十五代のカルテは、現代に生きるわれわれにもさまざまな教訓を導く。普段の食養生が健康体を生み、そして、逆に当時の疾病観がかえって寿命を縮め、素人の生半可な薬に対する理解が同様の結果を生んだのである。
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