梅田・知留久(串揚げ)、Salvatore Cuomo the Bar(バー)
高野山を13時38分のケーブルカーに乗って、15時25分ごろ、難波に帰ってきた。
改札を出たところで解散したが、二次会をしようと、4人で梅田にでる。まだ16時ごろだったので、まだ開いていないかと思いつつ「知留久」に行ったらもう開いていて、そこで、15本の串をあげてもらい、ビールの他、赤ワインを1本。まだ、飲み足りない気分で、お初天神辺りを歩く。客引きのお兄さんたちが、我々の「ワイン」うんぬんのことばを聞きつけて、声をかけてくる。適当にあしらい、まずは、「北サンボア」に。ここは、開いていないと思ったとおり。そのあと、お初天神の境内の外縁をまわって、梅田新道の角に来ると、Salvatore Cuomoが目に入る。満席なので、2Fのバーに行くようにと。すると、フランスで生まれたポルトガル人の両親を持ち16年大阪で暮らすという、自称「オオサカ人」のギャルソンF氏が面白く、彼をからかいながら、赤白のワインを開ける。
ピザの「D.O.C~ドック~ 」
キビナゴの南蛮漬け
トリッパのサラダ
知留久(串揚げ):http://www.shiruhisa.com/
Salvatore Cuomo the Bar(バー):http://www.salvatore.jp/restaurant/thebar.html
前夜、高野山の宿坊では、食事の時に、ビールとお銚子、持ち込んだ日本酒を、食後、部屋で、チーズやナッツなどを肴に、持ち込んだ赤6本を開ける。さらに、飲み足らず、缶ビールを追加して夜中まで飲む。
中の橋の霊園にFY先生のお墓に詣でて、奥の院、金剛峰寺、根本大塔にお参りして帰ってきた。FY先生は亡くなって20年目、時の経つのは早い。今回の集まりの主人公KS先生は4年前にはFY先生の享年を越えた。
改札を出たところで解散したが、二次会をしようと、4人で梅田にでる。まだ16時ごろだったので、まだ開いていないかと思いつつ「知留久」に行ったらもう開いていて、そこで、15本の串をあげてもらい、ビールの他、赤ワインを1本。まだ、飲み足りない気分で、お初天神辺りを歩く。客引きのお兄さんたちが、我々の「ワイン」うんぬんのことばを聞きつけて、声をかけてくる。適当にあしらい、まずは、「北サンボア」に。ここは、開いていないと思ったとおり。そのあと、お初天神の境内の外縁をまわって、梅田新道の角に来ると、Salvatore Cuomoが目に入る。満席なので、2Fのバーに行くようにと。すると、フランスで生まれたポルトガル人の両親を持ち16年大阪で暮らすという、自称「オオサカ人」のギャルソンF氏が面白く、彼をからかいながら、赤白のワインを開ける。
ピザの「D.O.C~ドック~ 」
キビナゴの南蛮漬け
トリッパのサラダ
知留久(串揚げ):http://www.shiruhisa.com/
Salvatore Cuomo the Bar(バー):http://www.salvatore.jp/restaurant/thebar.html
前夜、高野山の宿坊では、食事の時に、ビールとお銚子、持ち込んだ日本酒を、食後、部屋で、チーズやナッツなどを肴に、持ち込んだ赤6本を開ける。さらに、飲み足らず、缶ビールを追加して夜中まで飲む。
中の橋の霊園にFY先生のお墓に詣でて、奥の院、金剛峰寺、根本大塔にお参りして帰ってきた。FY先生は亡くなって20年目、時の経つのは早い。今回の集まりの主人公KS先生は4年前にはFY先生の享年を越えた。