妙見神社で休憩後、呉麓山に向かいました。妙見神社までは綺麗に舗装された道でしたが、妙見神社からは砂利道でした。さらに、管理が行き届いていないのか砂利道に草が生えていたり、まだ低いながら樹が生えていました。さらに道の脇にはたくさんのシダが生えて垂れ下がっていました。
そのシダを見るとウラジロはないですか。近々しめ縄作り講習会を開くので、これ幸いと刈り取りました。大きなウラジロばかりでしたので、しめ縄には使う小さめの葉だけを選んで刈り取りました。形が崩れないように押し花のように本に挟みました。砂利道はだんだん荒れて、樹が倒れていたり竹が倒れていたりしました。そのうち、電波塔に到着しました。
電波塔前の黒麓山登山口傍で、着替えや補水など小休止
電波塔傍には黒麓山登山口があります。このウォーキングクラブができて2年目、この登山口から黒麓山山頂に登りました。この時の道は、まだ整備されていたので歩きやすかったものです。この西山林道を整備する予算が尽きてしまったのでしょう。電波塔管理するためだけの最低限の管理だけしかされていないようです。そのため、電波塔を過ぎるとさらに道が荒れていました。鎌を振り回さないと歩けない箇所がありました。5年後にはもう誰も通れない林道跡になるに違いありません。
だんだん荒れた林道に 棘のトンネルが通せんぼ 林道に沿う棚田跡
下見時に鎌やノコギリを使って荒れた林道を通れるようにしておきました。そのため、今回は鎌を振り回す必要はありませんでした。10年ほど前には車が通ることができるほどの林道でしたが、今は荒れて車で通ることはできません。また歩いて通ることも困難です。いつかは自然に埋没してしまう林道です。
その林道に沿って多くの棚田跡がありました。昭和初めはこの棚田跡で稲を栽培していたに違いありません。実際、真殿地区の方々から子供の頃の棚田の様子を聞くことができました。
真殿地区の真殿薬師堂 真殿から国木小学校に向かう
荒れた林道を抜け切ると、真殿地区にぽっかりと出ました。そして、真殿地区の中心にある真殿薬師堂に行きました。お堂内を見せていただくと、右半分は薬師堂、左半分は神社になっていました。元々は薬師堂だけのお堂だったのが、山にあった神社を薬師堂に下ろしたのではないかと思われます。
たまたまおられた真殿地区の方に昔のお話をお聞きしました。その昔は棚田が田んぼとして使われていて、家族総出でを耕したり稲刈りなどして賑やかだったそうです。
真殿地区を出ると、出発したに国木小学校跡地に向かいました。参加された方々、お疲れ様でした。史跡巡りうーキング、12月はなくて、1月からの再開となります。来年もよろしくお願い致します。
西山~呉麓山~真殿を巡ったウォーキングルート
今年も続けて元宰相 岸・佐藤について小学生にお話をしました。田布施町は小さな町ですが偉大な政治家を輩出しています。一番は先日国葬があった元宰相安部晋三の祖父である岸信介でしょうか。亡くなってから40年近く経っていますが、今だに郷土館に遺品などの展示品を見学するために訪れる方々がいます。次は元宰相佐藤栄作でしょうか。1964年のオリンピック担当大臣、沖縄返還、そしてノーベル平和賞受賞で有名です。全国で田布施町郷土館にだけそのノーベル平和賞が展示されています(メダルは複製)。その両宰相について子供達に分かりやすく解説しました。
元宰相岸・佐藤について解説している私と聞いている生徒たち
そして、選挙制度,民主主義,国会/行政/司法,内閣,政党などについても解説しました。内閣について理解しやすいように、学校の係と比較して話を勧めました。内閣総理大臣は生徒会長、省庁は係に例えました。例えば、農林水産省は生き物係や作物係です。また、財務省は購買部に例えてお話をしました。
話をするだけでは分かりにくいので、図柄に示してお話をしました。お話をしたクラスは、放課後学習成器塾や少年少女発明クラブなどを通じてほぼ全員が私を知っていました。子供達はいずれ大人になって選挙や政治に関わるようになります。大人になって初めて選挙する時などに、今回したお話を思い出してくれると嬉しいです。
地元の小学校校舎 熱心に聞く子供達 いくつか質問も
これまでは田布施西小学校で少年少女発明クラブの活動をしましたが、11月は田布施中学校での活動です。活動した教室は理科室です。工作と言うよりも、科学実験と言った方がよいでしょうか。最初に理科の先生から化石についてのお話がありました。古代生物の痕跡が石になったものを化石と言います。石油や石炭は古代の生物が化学変化したもので、石ではないため化石とは言いません。また、石灰岩は古代のサンゴが変質した石ですが、サンゴの形が浮き出る箇所があれば化石ではないかと思います。
化石とはどんなものか講義を受ける子供達
化石のレプリカは、化石の凹型に石膏を流し込んで作ります。石膏が固まるまで時間がかかります。固まるまでの間、本物の化石を見学しました。三葉虫,サメの歯,恐竜の歯などの化石の実物を見せていただきました。見学している間に石膏が固まりました。固まった石膏を取り出して乾燥後、本物を想像して色を塗りました。
石膏を固める材料 化石の凹型に石膏を流す 本物の化石を見学
化石となった生物が生きていた時の色はまったく分かりません。そのため、それを自分で想像しながら各自色を塗りました。茶色一色なのか、カラフルなのか・・思い思いに色を塗って化石のレプリカが完成しました。次回も同じく田布施中学校の理科室で科学実験をします。
凹型から出した石膏を乾燥 思い思いに色を塗って完成
11月2コマ目の小学校 放課後学習 成器塾がありました。今回と次のコマは、主にポケットティッシュケースを制作します。一昨年はやや難しいポケット付きポケットティッシュケースだったため、なかなか完成しませんでした。その反省を元に、去年は容易に作ることができるポケットティッシュケースに変更しました。さて、まずはどんな柄のポケットティッシュケースにするか布を選んでもらいました。みんなすぐには布を決めきれないようでした。
布を選んだ後、ポケットティッシュケースになるように裁縫
ポケットティッシュケースを作ることはとても簡単です。私が最初に作り方を解説しました。その後、型紙とチャコを一人ずつ子供に渡しました。今、三角形のチャコを使うことはないと思います。今はチャコペンが主流だと思います。チャコを渡したのには理由があります。それは、布に線を引いたり印を付ける基礎を知って欲しいと思ったからです。なお、白い布を選んだ子供には有色のチャコを渡しました。
どの模様の布にしようか いろいろな模様の布 チャコで布に線引き
ポケットティッシュケースを作っているのを見回っていました。すると、ある子供が次は巾着をつくりたいと言ってきました。去年もポケットティッシュケースを作ったので、別のものを作りたかったのでしょう。
子供達はいろんな物を作りたいようです。それを考えると、三年サイクルで変えた方が良いのではと思いました。または学年別に作るものを変えるとか。例えば、①:ポケットティッシュケース ②:巾着 ③:ペットボトルケース などです。
さて、次回はポケットティッシュケースの続きです。そして、来月は干柿作りとクリスマス羊毛フェルト細工の予定です。
針と糸で丁寧に縫う もう少しで完成かな
放課後学習 成器塾の3コマ目の刺し子コースター作りが今回で終わりました。去年と比べて模様が複雑で作り方がやや複雑だったのか、1コマ多くかかりました。二人は未完成でした。次回はポケットティッシュケースを作りますが、その二人には先に刺し子コースターを完成してもらおうと思っています。
なお、早く完成した子供達には別の作業をしてもらいました。来年の調理に使う小豆をサヤから取り出す作業です。先日畑で収穫した小豆のさやです。
左六つは完成した刺し子コースター、右二つは次回完成
四年生は当初裁縫道具を持っていませんでした。当然ながら針を持ったこともない子もいたようです。一方で、母親や祖母が裁縫をしているとのことで針や糸を使わせてもらう子もいるようです。総じて、六年生の方が早く刺し子コースターを完成しました。また、六年生の方が要領よくミシンを使っていました。
ミシンで端を縫う アイロンで形を整える コの字閉じを習う
刺し子コースターを完成した子には、サヤから小豆を取り出してもらいました。農薬を使わずに育てた小豆です。サヤから小豆を取り出している時、いろいろなハプニングがありました。そのハプニングを子供達は喜んでいるにみえました。
そのハプニングとはサヤの中に小さな虫が潜んでいたり、変色したりゆがんだり傷んだ小豆があったりしたことです。小さな虫を摘まんではキャーキャー喜んでいました。虫を怖がったり嫌がったりする子がいないことが意外でした。
仲良く手回しミシンで縫う 楽しげにサヤから小豆を取り出す
先日、発明クラブで巣箱作りの2回目がありました。1回目で巣箱を完成できなかった子は今回で完成させました。
工作する子供達を見ているといろいろな個性があることに気が付きます。とにかく皆よりも早く作りたい子、遅くても丁寧に作りたい子、木の切り方がとても綺麗な子、手伝われることを嫌がり自分だけで作りたい子、釘の打ち方が上手な子、間違えてもすぐに修正できる子、遅れている子を手伝う子、友達どうしで見せ合いながら作る子・・・・金子みすゞの詩「みんな違って、みんないい。」を実感します。子供達が将来どんな大人になるか楽しみです。
完成した巣箱を手に持ってお披露目
前回来れなかった子が二人いました。その2人は低学年生と高学年生でした。この二人を見ていて面白いことに気が付きました。高学年生は簡単なデザインの巣箱を選び、低学年生は作ることが難しいデザインの巣箱を選びました。二人にその理由を聞いてみました。すると、高学年生は簡単なデザインを選ばないと今回だけでは完成しないからとのこと。低学年生は、このデザインかっこいいからとのこと。
高学年生は自分で作ることができる時間を計算できていたようです。一方で低学年生はその計算ができなかったようで、指導員が手伝わざるを得ませんでした。たかだか数年の違いですが、子供は日々成長しているのですね。
線引きから始める子 屋根を打ち付ける子 指導員に教わる子
今月製作した巣箱ですが、子供達にその掛け方を教えておきました。数年前のことです。巣箱をどのように掛けたか聞いたことがあります。すると、巣作りを見たい思いで、玄関,門,軒下など目にふれる場所に置く子が少なくありませんでした。そのような場所では親鳥が警戒して巣にしません。静かな林の中で、手が届かないような高さの樹の幹が良いです。しかし、巣箱を掛けたことがない親が多いので難しいようです。ざっとみて、10人に1人ぐらいから、巣作りしたとの報告が後から入ります。今回は何羽巣作りするでしょうか。
指導員に教わり巣箱に釘を打つ こちらも指導員に教わり巣箱作り
小学校の放課後学習成器塾が3ヶ月ぶりに再開しました。今回は3コマ目の刺し子コースター製作です。去年は2コマで完成までもっていけたのですが、今年は4コマ使いそうです。早い子は今回の3コマ目で完成しましたが、ほとんどの子は次回で完成しそうです。
今年は去年と比べて模様が複雑だったことが時間がかかった原因のようです。来年は2コマで完成できる簡単な模様にしようと思います。時間がかかっている刺し子ですが、子供達みんなワイワイと井戸端会議のように楽し気におしゃべりしながら裁縫していました。私はもっぱら手回しミシンを指導しました。
子供も指導員も、楽し気に井戸端会議しながら裁縫
今後の放課後学習 成器塾は残り8コマしかありません。年内は、刺し子のコースター(残り1コマ),ポケットポケットティッシュケース(2コマ),干柿作り(1コマ),クリスマスフェルト(2コマ)をする予定です。そして、来年は小豆を使ったお汁粉(2コマ)です。ちなみに1.5H/コマです。
各色の糸と手回しミシン どの色の糸を選ぼうか 指導員に教えてもらう
今回の成器塾で私はもっぱら手回しミシンを教えました。糸がほつれないようにする折り返し縫い、角の曲がり方などを教えました。ところで、足踏みや電動ミシンは速度調節が難しいです。そのため子供は使いずらいと思います。その点、手回しミシンは自分で早さを楽に調整できます。ただし、高速には縫えません。手回しミシンが使われなくなった原因は、高速に縫えないことだと思います。ですが、ミシン初心者の子供には最適なミシンだと思います。
ゆっくりと手回ししてミシン縫い アイロンをかけてコースター完成です
前回、切妻屋根の巣箱サンプルを製作しました。切妻屋根の巣箱はやや難しいため、今回は簡単な陸屋根の巣箱サンプルを作りました。前者は5,6年生用で、後者は3,4年生用にする予定です。ただ、子供によって木工が得意な子とそうでない子がいますので、どちらを作るかは子供に選んでもらうつもりです。
5年前に前者の巣箱だけを製作したことがあります。すると、木工が得意な子は、あっと言う間に完成してしまいました。それ以降、簡単な巣箱と難しい巣箱を用意しています。
容易に制作できる低学年向け陸屋根巣箱
切妻屋根の巣箱は7個の板切れが必要ですが、陸屋根巣箱は6個です。最初、その陸屋根巣箱の図面を200cm X 18cm X 15mmの板に鉛筆で描きました。描き終わるとその線に沿ってノコギリで切断しました。やや湿り気があるようで切りにくい板でした。今回、子供達が木工細工する目的は、正確に製図をして、正確にノコギリで切って、正確に釘で組み立てることです。上手にできなくてもかまいません。そして、木工用具を使うことに慣れてもらうことも目的です。電動工具は使いません。使うのは、小鳥が出入りする丸い穴を開ける糸鋸盤だけでしょうか。
1枚板に鉛筆で製図 図に合わせてノコギリ もう少しで切断完
サンプルの完成後、子供達が巣箱を作るための板を購入しました。5枚を束ねた板を4束購入しました。計20枚の板を購入しました。ここで困ったことが置きました。私の車であるセダンには、その板が載らないのです。2束を車内に斜めに押しこんで2往復しました。無理に押しこんでドアを閉じたので窓ガラスが割れそうでした。
ところで、購入予約している車は、この板を自由に入れることができるワゴン車です。来年の春にならないと新車が来ないそうでやきもきしています。
陸屋根型巣箱を組み立て中 セダン車に押し込んだ2m板
子供達が4~8月にかけて作ったアイデア作品を発明協会まで持って行きました。朝、役場の前に集合してマイクロバスで田布施西小学校の工作室前に行きました。そして、展示する作品を次々にマイクロバスに運び込みました。アイデア作品の数は20個に満たないため、楽にバス内に収納できました。かつては30個以上の作品があった時は、バス内に収納するのが大変でした。ぎゅうぎゅうに詰め込んだため壊れたものが出る始末でした。今回は小さな作品が多かったこともあり、すべての作品を楽々詰め込む事ができました。バスに乗せ終わると、発明協会に向かいました。
発明協会の会議室に作品を一時的に置く
発明協会に到着すると、作品を会議室に運び込みました。作品を作った子供達は来ることができません。そのため、子供達に変わって発明協会の方々に作品の説明をさせていただきました。作品の名前、作者、作った理由、便利な所、使い方、苦労した所、工夫した所などです。後日、この作品は山口市内の児童館で展示されるそうです。1ヶ月後頃に展示した作品を取りにいきます。
運搬中のバス内の作品 マイクロバスから降ろす 会議室に仮置き
4月から続けてきた少年少女発明クラブのアイデア工作品が、8月で完成しました。今回、その作品を出品するための手続きを子供達としました。出品するためには次の二つの条件があります。①工作が完成していること。②その作品の説明書が完成していること。
①は8月までに全員が完成しているため問題ありません。しかし、②が完成している子供が少なくありませんでした。工作は好きでも作文が苦手の子供は特にそうかも知れません。出してきた説明書を私が添削してあげました。二・三度書き直して、全員が提出することができました。山口市まで運搬する時に作品が壊れないようにビニール袋内に収納しました。
説明書が完成した作品、運搬のための袋に収納
今回子供達が書いた説明書を読んで見ると、分かりにくい文が多かったです。次のような問題がありました。①字が汚い子がいる。②段落がない。③項目別に書かれていない。④図が分かりにくい。などです。①は丁寧に書くことを勧めました。②は私の方で段落の場所を教えました。③作ったきっかけ、工夫した所、苦労した所などを項目別に書くことを勧めました。④図を書くことが苦手な子は私がサンプル図を描きました。・・・・そんなこんなで全員の作品を運搬用のビニール袋に入れることができました。来週これらの作品を、展示場がある山口市に持って行きます。
説明書に四苦八苦? 作品の説明難しい? 作品の使い方検証
4月開講式以来、ずっと少年少女発明クラブでアイデア工作をしてきました。これは田布施町の発明クラブの特徴でもあるのですが、どんな工作をするか考え,考えがまとまると図面化し,アイデアを具現化するための工作をしてきました。そのアイデア工作が今月末をもって終わりました。作った工作は、県の発明協会に提出します。次回の発明クラブでは、説明文の清書後に工作物や出品表などを大きなビニール袋に入れます。袋に入れる理由は、作った工作物が移動中に壊れたり、部品が紛失しないためです。
最後のアイデア工作、動作を確認したり磨いたり
前回と同様、私は作った工作の説明文を添削しました。年齢的に仕方のないことですが、子供は自分の作品をどう分かってもらうか文書にすることが苦手です。小学校では読書感想文などの作文をすることか多々あると思います。しかし、図面を使って分かりやすく文書を書くことは初めてだと思います。私が子供達に教えているのは、①工作を作るきっかけ、②使い方、③工夫した所、④苦労した所などを段落にして、さらに短い文で書いたら良いとアドバイスしています。赤ボールペンで例分を添えておきます。
最後の手直しをして完成 黒板を使って解説 添削中の図入り説明文
夏休みも終盤に入りました。発明クラブの工作も終盤です。お盆を過ぎたのに猛暑は収まりません。エアコンが無い上にコロナ対策で、工作室は窓を全開にしています。頼りは扇風機だけです。汗ばんでくると指導員も子供達も扇風機に寄ってきます。
半数位の子供は工作ができあがりました。しかし、工作ができてもそれだけでは完成ではありません。工作を見た人が分かるような解説図や説明書を書かなければなりません。発明クラブでは、工作に加えてその工作を説明する文章力も問われます。なるべく短い文で、綺麗な字で書きます。そして、工作するきっかけ、苦労した所、工夫したポイント、使い方などを端的に描きます。今回、私は子供数人の文章を添削しました。
仕上げに入った工作、ちゃんと動作するかな?
なかなか完成しない子供が数人います。途中で何を作っているのか分からなくなった子、だんだん構想が広がって来て収拾がつかなくなった子などがいます。以前のことですが、運動クラブにも所属していて工作に時間がさけなくなった子もいました。子供それぞれに事情があります。それを認めたうえで指導しています。完成していなくても、努力した結果がみえればいいかなと思っています。
友達に相談しながら工作 もう少しで完成か 図や説明文を書く
コロナ惨禍で中止が続いていた山口県少年少女発明クラブ交流会が4年ぶりに開催されました。コロナが収まっていない中、様々な制約がありました。いわゆるソーシャルディスタンスとして、一つのテーブルに一人だけ座っての工作でした。以前の交流会は、その言葉のとおり一つのテーブルに四人位の子供達が向かい合って座りました。違う地区の小学生が座り、お互いに自己紹介後に工作や実験をしました。来年こそコロナが収まり、交流会にふさわしい会場になればいいなと思います。
一つのテーブルに一人が座り、工作をする子供達
会場は山口市小郡のKDDI維新ホールでした。このホールは去年完成して、今年オープンしたそうです。そのため、真新しい壁や天井や絨毯でした。以前は電車やバスで行ったこともありましたが、今回は貸し切りバスで会場に向かいました。小郡なので田布施から高速道路を使って1時間弱で到着しました。到着すると、とある会議室に案内されました。その会議室で昼食をとりました。そして、13時にホール入口に設けられた受付で手続きをすませ、13:30からホール内で工作の開始となりました。
会場に到着しバスを下車 田布施の仲間達を紹介 いよいよ工作の開始
以前の交流会は午前工作・午後科学実験でしたが、今回はコロナ惨禍を考慮して午後の工作だけでした。題目はペットボトルなどの日用品を加工して、空中をとぶ羽(コップを加工)の発射装置を作りました。いわば竹トンボを発射するような装置です。使用する工具は、ハサミ、キリ、ペンチなどです。変わった道具として裁縫に使う糸通しも使いました。ほぼ全員が完成してホール内で羽を飛ばしていました。どの子供も目を輝かせて工作に奮闘していました。私も少しですが工作の支援をしました。
集中して工作する子供達 キリを使いペットボトルに穴あけ
2週間ぶりの放課後学習成器塾でした。前回に続いて刺し子をしました。早い子は、刺し子が完成してミシンで縫えばコースターになる寸前です。遅い子は、模様を一針一針縫っているので完成度は1/3位でしょうか。
ところで、次回の成器塾はずいぶん先の10月です。みんな忘れていやしないか心配です。10月に刺し子を完成させて、その次に3年前の成器塾でやった藍染めや紅花染めをしようかと考えています。なお、刺し子は子供にとって時間がかかるようです。来年はもう少し容易なものにしようと思います。例えば、2コマで1作品できる裁縫がいいと思います。
井戸端会議のように賑やか、刺し子をする子供達
今回は指導員が3人です。各指導員さんは、子供達の座る机に陣取って楽しそうに見守りしていました。そして、子供達が間違えたり聞かれたときに指導をしていました。子供8人に対して指導員は3人です。自分で裁縫できる子供もいるため、実質マンツーマンで指導できたようです。
私はもっぱら見守りに徹しました。そして、刺し子をコースターにするためにミシンで周辺を縫いました。ところが、ミシンの調子が悪く針が折れてしまいました。おまけにメガネを忘れてしまったため、新しい針を取り付けたり糸を通すことができません。私にとっては少々残念な成器塾でした。
指導員に運針を習う子供 丁寧に刺し子を縫う子供
先日も、少年少女発明クラブで子供の工作指導をしました。クラブには八つの班があり、それぞれの班には2~3人の子供がいます。一つの班には1~2人の指導員が付いています。私は特定の班を指導することはなく、班を回りながら世話をしています。そして、指導者が休んだ班に入って指導をしています。
子供達を見ていて思います。どの子供も塾やスポーツクラブなどで忙しいようです。今回指導した子供の一人は、午後地元の野球チームに通うとのこと。大人顔負けのスケジュールです。送り迎えする保護者も大変だと思います。
時々思います。自由に遊べましたが働かざるをえなかった昔の子供と、生活は豊かなのに自由に遊べず管理された今の子供。どちらが幸せなのでしょうか。
工作をしている子供達と見守っている指導者
今の子供達は、学校の登下校時に道草ができないようです。私が子供の頃は、友達の家に寄ったりしながら遊んで帰りました。そのため、あちこちの野山田畑や山道や獣道、川の生き物、昆虫のいる場所、友達の家族などを知ることができました。しかし、今は友達の家に寄ったり、川などで遊ぶことはできないようです。とにかく禁止事項が多いように感じます。
友達の工作を見学 なかなか入らない 図面と工作物を確認
昔の子供は自由時間が多くありました。しかし、仕事もしていました。私が子供の頃、我家は酪農をしていました。そのため、学校から帰ると牛が食べる草を刈ったり集草をしていました。早朝、牛に草を与えるため牛舎のドアを開けると、暗闇からいっせいに私の方を見る20頭ほどの光る瞳を今でも思い出します。そして、大量の牛の糞を運び出す仕事もありました。
さらに、家の風呂焚きもしました。山に入っては枯木や枯草など燃えるものを集めました。燃えやすいようにノコギリで枝を切ったり斧で木を割ったりしていました。他に新聞少年など、いろいろな仕事がありました。変わったところでは、夕飯のおかずのために田布施川に貝掘りによく行っていました。
今のようなスポーツクラブなどは無く、塾はソロバン,将棋や囲碁,習字が主な時代でした。
電動工具の使い方を教わる 協力して板を切る