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校長以前に小使あり。

2010年10月01日 | 読書
 校長以前に小使あり。 

 明治2年に京都に日本最初の学校が設立されたとき、小さな学校は訓導一人、小使一人でスタートしたという。その小使が法律で存在を認められたのは昭和50年である。

 100円読書というショボイマイブーム?の中で、面白い本に出会った。
 
 『私、用務員のおっちゃんです』(三浦隆夫 小学館文庫)

 2000年の発刊で文庫書き下ろしとなっている。
 元新聞記者が、三年間臨時用務員として学校に務め、その体験をもとにしながら「用務員」について調べたことなども含めて、問題提起をしている内容である。
 学校に勤める者であれば、多くは刺激をうけるのではないかと思う。少なくとも自分にとっては、あまり考えてこなかったことを突かれているようで、気持ちよかった?

 「小使」…懐かしい呼称である。
 小学生のときに誰となしに「こづかい」(方言としてはコヅギャ)と呼んでいるのを聞いて、ああこの人を指すのかと思って暮らしていた。その風貌は今もしっかり覚えている。
 何年生の頃だったろう…その人の名字が「こつがい(小番)」だと知って、あれ?これって名前だったの、役職名だったの、と妙に悩んだことを思い出す。

 かの名称は、自分が学校に勤め始めた時はもうなかった(そんなふうにおおっぴらに呼ぶ人がいなかった)のだが、この本に書かれてある、各地におけるその業種の名称の多様さを知れば、また複雑な思いがする。

 学校における用務員の立場は、限定された地域であっても多少の違いが生じているだろうが、概括的にみればやはり学校という職場の中では特殊であることは確かだ。
 それはおそらく、他職員と任命権や監督者が異なることから発するという理由だけでなく、仕事内容として区分された段階で発することが大きい。
 しかしそれも諸外国の例などを見るとき、日本独特の文化、歴史を背負っていることも確かだと思う。

 そんなふうに、いろいろと考えを巡らすことのできた本である。
 子どもにとって「学校職員」という人的環境の重要性は言うまでもない。
 制度的な改革とともに、何ができるのか考えてみたい。

 それにしても、冒頭に引用した言葉はずいぶんと重い。