すぷりんぐぶろぐ

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どこまで話してもせつない気持ち

2010年10月23日 | 雑記帳
 せつない気持ち。 

 ほんとに上手いよね、
 特集のつけ方、表紙のデザインなどが、BRUTUSは。

 毎号ではないが、ついつい表紙だけで買ってしまうことが多い。
 今回もまったくそうだが、それが何故これほどの即断だったか、読み始めてから、思い当たる節があった。

 最近ある人の話題になったときに、心にわき上がる感情について、どう名づけらたらいいかわからなかった。
 いや、具体的にそんなことを考えたりしなかったのだが、結構頻繁だったので、その感情に馴染みが出てきたということなのかもしれない。

 ああ、それは「せつない」ということだったのだ。
 (残念ながら、色気のあるそれではない)
 風呂の中で雑誌を開きながら、ひらめくように合致した。

 特集の書き手は、茂木健一郎、内田樹に始まり、「『せつない』好き8人」と称された面々の「胸キュン論」が続く。みうらじゅんや本谷有希子などがいて楽しい。
 韓流も大きく取り上げられているが、まったく興味がないのでパス。

 わきあがった感情の意味づけなどに関心がある自分にとっては、面白い文章はこんなところだ。

 日本人は背景も含めて対象物を見ようとし、欧米人は対象物だけを見て背景を無視しようとする傾向がある。(茂木)

 「何かが欠けている」という表現に出会ったとき、人は「自分が“ない”と思っているものと同じかもしれない」という欠落感~せつなさの共有によって連帯することができるのです。(内田)


 茂木センセイはある認知実験から、人間関係の評価も同じ傾向にあるという。内田キョウジュ、さすがの言語化である。せつなさとは、欠落感の連帯であったか。

 ある人の話を繰り返し聴きながら、私は自分の中に似ている感情や行動があることを見いだし、そして決してそんなことをするまいと思って毎日を送っていて、それが見事に表れているその人に対して「哀しい」と言ってはみたが、どこか同情を寄せている部分もあったわけだ。

 川勝正幸というライターが、こんな表現をしている。

 「哀しい以上、絶望未満」

 なるほど。と思う。
 限りなく絶望に近いけれど、どこか一筋の光は射してほしいというような感情…やはり、それは日本人だから、その人を取り巻く背景を汲んでいるということだろうか。

 どこまで話しても、せつない。

 ちなみに、この特集で複数の人に取り上げられているのは、永遠の名作『木綿のハンカチーフ』。
 けれど、これをせつない典型として挙げられるかというと少し迷う。きっとあまりに同時代を過ごしたからなのかもしれない。