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なつかしい学校は今ここに

2010年10月14日 | 雑記帳
 職場の会議室の書棚を眺めていたら、ちょっと古めの緑の小冊子があったので手にとってみた。

 『我が村』と題されて、本校の名前が記されている。
 奥付をみると、なっ、なんと昭和十一年とあるではないか。

 丁寧な装丁がされ中は写真入りで、歴史や現況、活動、社会生活、各種資料などがまとめられている。当時を知る資料としてはかなり貴重ではないかと、わくわくしながらページをめくった。

 しばし読みふけった後で、もう一度「はしがき」をめくってみたら、少し違和感のある表現があった。

 三輪村!こゝは私どもの生れたところ、私どもの育つたところ…(中略)…私どもにとつて此所程なつかしいところはありません。 

 「なつかしい」という箇所である。
 都会に住む人に向けて書いた文章ではないはずだし、ちょっと変ではないか。
 普通「懐古」「懐郷」といった意味で「なつかしい」は使われるはずだが、昭和だから古語ではないでしょ、…と思って調べてみると、明鏡辞典では確かに「過去のことを思い出して~」「久しぶりに会ったり~」という意味のみであった。

 しかし、広辞苑をみると、「思い出されてしたわしい」という意味は第4番目。最後ではないか。
 ネットのgoo辞書も、それと同様だった。
 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/164186/m0u/

 第一義としては「そばについていたい」「心ひかれる」ということが出てくる。古語としての使い方とは言い切れないだろう。

 語源では「懐古・懐郷」といった使い方は中世から出ているというし、ふだん我々が使うとなれば、もっぱらそちらの方だ思う。

 しかし「なつく」という言葉から形容詞になったものだとすれば、それは、今目の前にあるもの、ごく身近なものであっても何ら不思議はない。むしろ、そちらの意味の方がぴったりくると言えまいか。

 昭和前期にはまだ古語が残っていたというべきか、いや「なつかしい」はそういう意味でもつかわれ続けてもいいんだよ、というべきか、少しわからないままだ。

 それにしても、時々、一年生が隣接する保育園を見ながら「なつかしい!」などということがあるが、いったいどちらの意味でとればいいのか、笑って済まされなくなったなあ、これは。

 教育目標を「なつかしい学校」にしてみたらどうだろうか…そんなことを、少し本気で考えてみる。