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父親力の正体が見える

2010年10月17日 | 読書

 『父親力』(正高信男 中公新書)

 ちょうど去年の今頃に、こんな記事を書いていた。

 「二人目の母親」でいいのか

 ここで読んだ正高氏の文章のもとになった新書だろうと思う。
 2002年に発刊された本だが、実に興味深く読んだ。

 特に「父親の話はあまり登場しない」とされた前半の二章が面白かった。

 第一章 記憶の起源~「はじめての記憶」から子どもの発達を考える
 第二章 「死を看取る」ことの意義
 
 第一章冒頭の、著者が調査した「いちばん古い記憶」についての学生と高齢者の結果比較が実に納得でき、かつ考えさせられる。
 「人はいやなことを覚えている」からヘビへの恐怖感、そして仲間から判断の基準を学ぶという「社会的参照」までの件は、なるほどの連続であった。

 第二章は、記憶の分類が出てきて、多少知っていたことではあったが、それが子どもの成長とどう結びつくのか、これも納得させらた。

 それ以降の章においても、「相手の笑いを先取りする笑いの発達へ」といった、ふだん自分がよく感じている事柄についての論考もあり、読みどころ満載だったといってもいい。

 肝心の「父親力」についての必要性は、多くの人が語ることに近いと思われるが、これだけ理論づけられれば、本当に納得いや身にしみる、ということだ。

 反省を促す著である。いまさら、ではあるけれど。