訳もなく『茫然とする技術』(宮沢章夫 筑摩書房)の実践化を図る。
技術を技能に換えるためには、何より経験である。
その姿勢は、他人様より結構強いのではないかと思っている。
校内をまわっていた時に、2階の掲示物が気になった。
「昔の道具・未来の道具」といったテーマで、家にある古い物を調べて図示、説明を加えたシートが貼られている
時代区分がこうなっていた。
大昔・小昔・現在・未来
…えっ「小昔」ってどういうことだ。
時の流れ順であることは言うべくもないが、この表記はそそられるものがある。
「小昔」…「小さい昔」か。
昔は小さかったんだ。
自分の意識の中でもちろん一番大きいのは現在だろう。ほとんど全てと言っていい。
じゃあ「小昔」はどのくらい小さいのか。自分も小さかったからその中に入っていたんだねえ。でも他の家族はどうだろう。昔は家族が多かったから入りきれないだろう…
じゃあ、「大昔」ってどうよ。
「おおむかし」けして「オウム、菓子」ではない。
「大昔…大きな昔」こう呟いてみると、ああ何か神聖な感じさえする。神が降りてきそうな、心悪き者など近寄れそうもない。
そうだよ、大昔の位置はそんなところだ。
「小昔」は「コムカシ」…何か虫の名前のようだ。
結局、とるに足らない世界を表しているというわけか。
それはそうと、区分に合わせると「小未来」「大未来」もなければ駄目だ。
「コミライ」…アフリカあたりの新興国の名前か。「コミライ共和国」。
「オオミライ」うーん、これには例えば「oh!mirai」のような明るい響きがある。何かラテン系の歌でも歌っていそうだ。
そこでふと気づいてしまうのは、現在を生きる私たちが本当に知り得るのは「小昔」。
そして知り得るだろうと予測できるのは「小未来」だということ。
そんな小さな範囲で生きているという実感を忘れず、今日も茫然とする準備をしている私。
技術を技能に換えるためには、何より経験である。
その姿勢は、他人様より結構強いのではないかと思っている。
校内をまわっていた時に、2階の掲示物が気になった。
「昔の道具・未来の道具」といったテーマで、家にある古い物を調べて図示、説明を加えたシートが貼られている
時代区分がこうなっていた。
大昔・小昔・現在・未来
…えっ「小昔」ってどういうことだ。
時の流れ順であることは言うべくもないが、この表記はそそられるものがある。
「小昔」…「小さい昔」か。
昔は小さかったんだ。
自分の意識の中でもちろん一番大きいのは現在だろう。ほとんど全てと言っていい。
じゃあ「小昔」はどのくらい小さいのか。自分も小さかったからその中に入っていたんだねえ。でも他の家族はどうだろう。昔は家族が多かったから入りきれないだろう…
じゃあ、「大昔」ってどうよ。
「おおむかし」けして「オウム、菓子」ではない。
「大昔…大きな昔」こう呟いてみると、ああ何か神聖な感じさえする。神が降りてきそうな、心悪き者など近寄れそうもない。
そうだよ、大昔の位置はそんなところだ。
「小昔」は「コムカシ」…何か虫の名前のようだ。
結局、とるに足らない世界を表しているというわけか。
それはそうと、区分に合わせると「小未来」「大未来」もなければ駄目だ。
「コミライ」…アフリカあたりの新興国の名前か。「コミライ共和国」。
「オオミライ」うーん、これには例えば「oh!mirai」のような明るい響きがある。何かラテン系の歌でも歌っていそうだ。
そこでふと気づいてしまうのは、現在を生きる私たちが本当に知り得るのは「小昔」。
そして知り得るだろうと予測できるのは「小未来」だということ。
そんな小さな範囲で生きているという実感を忘れず、今日も茫然とする準備をしている私。