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桜と絵本と豆乳と

少年譜に記される存在

2010年10月15日 | 読書
 『少年譜』(伊集院静 文藝春秋) 

 七編の短編小説集。どの作品にも主人公や重要人物の少年期が描かれ、現在に通じているところが共通している。
 帯には「少年小説集」という言葉が添えられているが、そういう形容が妥当なものかどうか。
 いずれにしても、少年が乗り越えた「厳しい道程」が描かれており、その雰囲気はまさしく伊集院ワールドなのである。

 冒頭に置かれた標題作「少年譜 笛の音」は、年譜的な構成が強調されていて、いわば立身出世物語でもあるのだが、その抑えた筆致が印象を残す。

 個人的には「古備前」「親方と神様」の二作品がいい感じである。

 「古備前」は、著者が通いそうな銀座の寿司屋が舞台である。
 寡黙な主人イサムは小学校時代に、高価な壺を壊し周囲からの冷たい目に晒されるが、その時言い放つ校長の一言に救われる。

 「この学校には子供がこわして困るようなものは何ひとつ置いてありません」

 そしてこの言葉は、主人の始めた店に置かれた古備前に対して向けられる言葉にもなる…

 「親方と神様」の舞台は鍛冶屋である。
 鍛冶屋の仕事を見つめる少年の目が熱い。
 「鍛冶の仕事には何ひとつ無駄なもんはない。とにかく丁寧に仕事をやっていけ」という親方の言葉が心に迫る。
 地道で寡黙な男の持つ強靭さが少年の心を育てるのは、いつの時代も同じだろう。
 ここにも一箇所だけ教師が姿を見せ、その仕事の尊さを説く場があった。

 どの大人にも少年譜がある。
 小説ではなくてとも、そして影響の大小にかかわらず、そこに教師の登場する頻度は結構あるのかなと考えたりする。

 肩に手を添えたり、背中を軽く押したりしてちょっとでも顔が見えたりする存在であれば、仕事冥利につきるだろうなと素直に思う。