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鳴るために歌う人

2010年10月11日 | 雑記帳
 雑誌ダ・ヴィンチが、また中島みゆきの特集をした。前から何年経ったろうか。
 対談相手は、かの糸井重里だとある。これもまた同様だ。
 読まねばなるまい。

 中島みゆきの「赤ん坊って鳴ってません?」という問いかけに、
 糸井は「赤ん坊の鳴りと歌とは、本来一緒なんです」とまとめる。

 中島みゆきは、きっと「鳴る」ために歌っている。そんな気がする。鳴るために、唄を作っている。
 言葉は大事なことだが、それを一つ越えた段階で何かを伝えようという思いが強くなければ、アーティストとは呼べない。
 
 ああ、『命の別名』が聴きたい。
 とここで、youtube 検索。

 http://www.youtube.com/watch?v=fpC6exFNnRk

 歌詞は誰かに阿るためのものではない。ある意味の「出まかせ」かもしれない。だから、次のような語りは実に格好いい。

 何かを失ったから、何かを得られるような、見返りを期待しないところから世界は開けるんじゃないですか。
 見返り以上のものを信じることができれば、失うことは些細な絶望でしかないんじゃないですか。
 
 「見返り以上のもの」…いくら言葉の大切さを信じても、それだけでは語れない何かを感じる。
 自分が対象に感じ入って、自分の方法で鳴るということかもしれない。