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「やまなし」をわける

2010年10月09日 | 教育ノート
 「わかる」の語源は「わける」にある…というようなことをずっと以前に、何かの新書で読んだことがあった。
 言葉を聞き分けるというように、他との違いをとらえているからこそ理解できるのだと、妙に納得した記憶がある。

 岩下修先生の著書の中に「読解の技法」についてまとめられたものがあって、そこで「二つに切る箇所を検討させる方法」が示されていて、これにもひどく興味を持った。
 様々な教材を思い出し、自分の頭の中でイメージしてみたとき、汎用性が高いと感じたからだ。

 今回、『やまなし』三時間の指導で使ってみようと思った。
 様々なアプローチが考えられるにしろ、あまりにも時間数がなく、概要をつかむというねらいのもとでやってみるには有効に働くような気がした。
 「二枚の青い幻灯」である「五月」と「十二月」。それぞれの場面をさらに二つに分けるとすれば…という発問を主に組み立てた。
 
 一時間目は読みを中心に、どういう話かまとめ、設定である「谷川の深さ」を問う。
二時間目と三時間目で、「五月」「十二月」を扱った。

 結果的にどうだったか。
 リハビリが必要なくらい授業から遠ざかっていた自分ではあるが、どうにか意欲を損なわず読み取りをさせることができたように思う。

 「五月」は、まだ読み取りが浅い段階ではいくつか分かれるだろうと予想していたが、まさしくその通りで、キーワードとして「クラムボン」「魚」「かわせみ」が理由づけされたので、最大の事件という表現で焦点化できた。
 「十二月」は、「五月」より場面分けとしては単純だが、やまなし登場後の谷川の世界の変化を問いかけることができた。
 もちろん、一気に主題に近づくなどできるはずもないが、「仲よし」「食べもの」「いいにおい」など、いくつかのステップを踏めばいい発言もあった。

 少し緊張しながら行った授業ではあったが、それなりの収穫があった。

 「分けることは分かることである」
 ほんの少しであるが、内なる声が強くなっている。