すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

誰かのための犬ということ

2013年08月30日 | 雑記帳
 水曜日の模擬授業で、東書版教科書にある「もうどう犬の訓練」を題材に扱った。プランを練るためにいろいろと調べてみると、今まで知らなかった情報を発見できて結構楽しい。例えば犬の数え方、当然「匹」と思ったが、それは小型・中型犬でそれ以上は「頭」。盲導犬は頭。基本的に動物は頭で数えるのが原則。


 盲導犬の基本的な仕事は次の三つを教えること。「角」「段差」「障害物」。ぼやっと考えていると、つい盲導犬が道案内をしているようにイメージしてしまうが、カーナビとは違う。あくまでユーザーの頭の中にあることの補助である。だから、角をどちらへ曲がり何回通過するか全て人間が把握して指示を出す。


 英語で指示を出す訳は少し考えればわかる。日本語には様々な言い回し、男女の違い、方言等があるし、言葉がぶれないためには英語が圧倒的に有利だ。しかしもう一つの訳は少々やっかい。犬に対する叱り言葉が日本語だと、周囲に驚きや不快感を与えるというのだ。言葉という道具の遣い方を考えるための好例だ。


 大きな括りとして「はたらく犬」という存在がある。思い出したり調べたりすると、結構ある。盲導犬と同類の聴導犬、介助犬。警察犬関連では災害救助犬、麻薬探知犬、検疫探知犬。昔からいる猟犬、そり犬、牧羊犬。そして言われてみればタレント犬なども。しかしペットと比べて、どちらが幸せかと考えてしまう。


 文章中に「はたらく犬は、動物としての特長を生かしたり、おさえたりして、訓練された犬」とある。「おさえたり」するのは「特長」ではない。これは正確に記せば、「与えられる仕事にとって不都合な習性」を「おさえたり」することなのだろう。しかしそれは人間もしかり。働くとは常にそうか。誰かの犬か。