すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

細かな気づきの枝をわたる

2013年08月09日 | 雑記帳
 県国語研の主催する夏季研修会に参加した。午前の講演はかの工藤直子氏で,いかにも詩人だなあという内容。二十年以上前に聴いた記憶があるが,その時とあまり変わらない気がする。しかし自分の数少ない実践群で,この人の詩は大きな位置を占めるのは事実だ。今の時点で振り返るのも悪くないなとふと思った。


 午後からの分科会では発言せずに,どんなことが話題になるか観察モードだった。キーワードとして「対話」がでた。数年前から浸透してきているこの言葉の意味は,当然直接的なそれを指すよりもっと広義になっている。広辞苑にはないが明鏡に書いている「精神的な交感」。交感かあ。それだと広がりすぎるか。


 面白いエピソードが発表者からあった。対話の意味を説明していたら,子どもから「ツッコミ」という言葉が出たそうだ。段階を踏んで指導すれば,この発想はもしかしたら使えるかもしれない。「どういうこと」「なんでやねん」「何言うてんねん」「ありえへんやろ」…理由と具体を求める問いに溢れている。


 「目的意識をもってしっかりと…」というまとめに関して,目的意識のあり方が質問された。よく取り上げられる話題である。子どもが自ら目的を持って単元に取り組むことができるとすれば,それはもう一つ二つ上のスケールを踏まえてのことだ。「意識」をつけているのは作為的であってよい証しかもしれない。


 グループ学習における話し合いの見取り,そして最後に出た国語辞典の与え方の話題,この二つに共通する感覚は,やはり正答主義の域を脱していないのではないか…そんな思いにとらわれた。もちろん自分もそれに近いと認識しながら,口ばかりで「多様性」を唱えている現状との落差を今さらながらに感じる。