ちょうど一週間前になる。
小豆島にある尾崎放哉記念館を訪れた。
俳句に詳しいわけではないが、自由律の俳人である山頭火と放哉には多少の関心があった。
せっかく香川まで足を運んだのだからと思い、短時間ながらその「南郷庵」を訪れてみることにした。
墓地の前に立つりっぱな案内板の前には、石に刻まれたあの有名な句があった。
障子あけて置く海も暮れ切る
放哉が晩年を過ごした地にある小さな家屋が見えてきた。
その正面に、なんという偶然か、上のような掲示がある。
「入りますか?」と屋外にいらした担当らしき女性に声をかけられ、「はい」と返事をして、開けていただいた。
土間とかまどがあり、二畳ほどの間があって、八畳、六畳が展示スペースとなっている。
なんとなく、障子から海が覗けるのかと思ったら、それはちょっと違うようだ。移設ではないと思うが、そのあたりは定かではない。
詳しく書かれた資料をじっくりと目にする基礎的な知識はない。ただこの南郷庵で書かれた二百十六句の中に、自分のような素人が知っているほとんどの句があることにちょっと驚いた。
つまりわずか八ヶ月暮らした終の棲家での句作のエネルギーが、放哉の評価につながっている。
そんなふうにも受け止められる。
簡単に想像できる心境ではないと思う。
もちろん、諸々の研究家や愛好家が、詳しく掘り起こしていることもたくさんあるだろう。
それでも単に資料にある句を読んだ感性のみで、そこで暮らした放哉の心底に近いだろうことばを拾ってみると、こんな句が目に入ってくる。
ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる
誰に宛てた、どんな内容の手紙なのか、ただ「急」という言葉が寂しく心に迫る。