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料峭

2014年02月05日 | 雑記帳
 料峭やかもめと瞼閉づるとき(堀本裕樹)

 「料峭」は「りょうしょう」と振り仮名がある。
 しかし、さっぱり意味がわからない。

 この言葉の意味を知っている人は、どれほどいるのだろう。
 俳句人口が何百万人とも聞くが、勝手な予想をするがこの字を読めて解することができる人は、日本人の1%はいないと思う。


 「授業とは、何かを用意し、何かをかくし、何かを問い、何かを考えさせ、何かを認識させるコミュニケーションである」という宇佐美寛先生の名言がある。
 その意味で、こういう句との出会いは一人授業のようなものである。


 最初の「読字」はクリアしたが、「解語」の段階は調査、検索が必要だ。


 【料峭】(りょうしょう)

 春風が肌にうすら寒く感じられるさま(広辞苑)



 ほおうっ。これで「読解」に進める。

 感動の中心は「料峭」。
 心寒い、寂寥感、いやもっと深い孤独のようなイメージがわく。

 「かもめと瞼閉づるとき」…話者の心情と広がる風景をどう解するか。

 「瞼閉づる」にどれだけの意味を見いだせるか。認識の深さが問われる。



 立春は過ぎたが、まだまだ春風にはほど遠い風雪の日。
 瞼を閉じながら情景を想像してみる。