すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

時代のカナリアの声は届くか

2014年02月09日 | 読書
 「2014読了」17冊目 ★★

 『本当は怖い小学一年生』(汐見稔幸  ポプラ新書)


 面白そうな題名だなとネット案内で見た時に感じた。
 近々入学説明会もあるし、ネタが拾えるかもしれないと不純?な思いで購読した。

 粗く言えば「小一プロブレム」の原因考察をもとにした、現在の学校教育、家庭教育の分析と批判である。
 そして、今後の教育のあり方について多様性を基盤とした方向転換を提言している。

 特に目新しいとは言えないが、さすが著名な教育学者、論理は通っているし、説得力も感じる。
 ただ、著書の志向する動きは今盛んに論じられている教委改革と照らし合わせてみたとき、どんなレベルにあるのだろう、改革は教育の幅が広がるほうへ果たして向かうのか…そんな思いにとらわれてしまった。


 さて「本当は怖い」とは、誰を対象として語りかけているのだろうか。

 教師、親はもちろん、日本社会の全てに向けているのかもしれない。

 その「怖さ」の自覚は、教師であれば多かれ少なかれ持ってはいるだろうが、「家庭・社会」と「学校」との変化のズレの中で、怖さを閉じ込めている部分があるのではないか。
 だから「怖い小学生をつくった日本の学校」と称される。

 「もっと怖い日本の母親たち」には、その「怖さ」の自覚はあまり期待できない。「かけがえのない」といった甘い形容の意味を取り違え、同化してしまったり、放任してしまったり…。

 社会のリーダーたちはどう見ているのか。著者は子どもたちを「時代のカナリア」と表わしたが、その鳴き声にどんなふうに届いているか。


 この状況は一軒一軒の家庭の問題であると同時に、社会全体の課題であるという認識をもっと強めるべきだと思う。

 かつて、学校は社会より一歩進んだ存在であったはずだ。
 今、そんなことを思う人は誰もいまい。
 学校は常に後方にあって、社会や家庭が行く先も見定めずに走っているような状況に振り回されている状況か。

 自分の姿はどうかと言えば、そんなに急に行けないんじゃないか、そちらの道はあぶないんじゃないか…何かの紐をあまり見えないように引っ張っている感じだ。


 著者の提唱するシステムに共感できることもあるし、また首を傾げる点もある。
 個人の中でもそうなのだから、それぞれが思う「善意」はなかなか折り合いがつかないだろう。

 ただ、決裂したり反発のみに終始したりせずに、耳も目も向けていきたいとは思う。