すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

個性が邪魔な作家

2014年02月20日 | 読書
 「2014読了」23冊目 ★★★

 『幸福な生活』(百田尚樹 祥伝社文庫)


 京都から帰る時に,伊丹空港内の売店で買い求めた。

 いろいろと話題の多い百田尚樹。
 文庫本がほとんど平積みされている。
 そのうち読んでいないのが3冊あったが,どれにしようかとぺらぺらめくってみて,帯に書かれてあった「宮藤官九郎さん『嫉妬する面白さ』」というセールスコピーに惹かれて手にした。

 結局読み始めたのは数日後だった。
 収められた19の短編の最初「母の記憶」を読み終え,「おおうっ,さすが」と思った。

 帯にあったコピー「衝撃のラスト1行!」は誇張じゃないなと思うほどだった。
 最終行がめくる形のページに配置されている形式であり,いわゆる落語のオチやサゲ的な構成をとっている。

 次の「夜の訪問者」も,「ほお,ナイス」であった。
 三番目の「そっくりさん」四番目の「おとなしい妻」…百田尚樹やるなっ,と楽しい気分で読み進めた。

 しかし…だんだんにラストがどうなるか謎解きモードに入ってしまい,そしてまたそれが7割ぐらいの確率で当たっているという顛末になり,わくわく感がなくなっている自分に気づいた。

 解説の宮藤は「先読みする快感を覚え,その読みはことごとく外れる」と書いてはいるが,それは思考パターンが違うからだろうか。

 そうすれば,作者と自分がどこか共通点があるということ?
 そんなオソレオオイことは考えられない。

 ただ,バラエティなどの構成作家をしていた履歴や,作家として次々に異なるジャンルを取り上げている(そして,ほとんど面白い)百田をみると,八方美人的な興味のあり方は似てなくもないか。


 宮藤は構成作家としてのキャリアを取り上げてこう書く。

 誰が書いたかわからない。そういう場で経験を積んだ作家は強い。個性で勝負できないぶん,純粋に面白いもの,娯楽性の高い作品を書くしかない。読者(視聴者を)楽しませることを第一に考えたら,文体なんか気にしていられない。個性は邪魔になる。


 それゆえ,取材力や構成力が問われてくるし,その縦横無尽さに魅力を感ずる読者も多いだろう。
 しかし,それをまた一つの個性と呼ぶこともできよう。


 さて,作品と現実は違う。

 多彩な作品群に比べると,百田個人としての発言はややステレオタイプであるような気がするのは私だけ。