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笑いの原則,見つけたり

2014年02月08日 | 雑記帳
 年度末に退職なさる方へ記念品贈呈の簡単なセレモニーがあった。ほんの一言ずつ挨拶していく中で、ちょっとしたエピソードを入れて笑いを誘う方がいた。あらましは、先日人間ドッグに入り検査結果を見たら、様々な数値が悪化するなかで、一つだけ良化している項目があり、それが肺活量だったという話である。


 私も思わず声を出して笑ったが、ふとどうして面白く感じのだろうと振り返る気持ちが出てきた。もちろん、話の調子、表情もその一因なのだろう。しかしそこを省いて純粋に話の笑いどころはどこか探ってみたい。中年、老年の自慢ネタの一つは病歴だったりするが、その範疇にあれば全て該当するわけでもない。


 加齢に伴う血圧、コレステロール、肝機能等々の数値の悪化と、肺活量のデータ良化が対比されている。前者はいわゆる生活習慣病に直結する、一方後者はあまり関わりが強調されない対比も重なる。それが落差を大きくする。そして肺活量がいいことは、走ることを想起させ健康な身体の持ち主という姿も浮かぶ。


 (実際は別にして)健康体の人間が、実は内臓肥満を抱えているイメージが滑稽なのか。肺活量からの「ため息」連想もあるか。つまりは、アンバランス。なんだ、ごくありきたりの結論になった。が、待てよ。もしかしたら笑いの原則とはアンバランスではないか。唐突な結論が浮かぶ。表情、展開…当てはまる。


 そう考えると、笑いのつくり方も見えてくる。バランスのとれた流れに異分子を入れ込むこと。それは空間的である場合、時間的である場合、複合的である場合がある。ごく普通に習作として作れば、こういう文章を書いてきて突如、関根勤のように脈絡のない話題にふることだ。「あばら骨が痒いときがあります」