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「効力感」に自らツッコミ

2015年07月02日 | 教育ノート
 今日本校で実施した授業研修セミナーのテーマは「効力感のある国語科授業づくり」だった。
 
 講師に、岩手より照井孝司先生をお招きし、児童対象の特別授業そして講話をしていただいた。充実したひと時になった。
 この後、職員の感想をまとめながら、詳しく振り返ることになるが、講話の途中にぼやっと頭に浮かんだのは、「効力感ってなかなかやっかいな言葉だな」ということ。
 自分自身にツッコミを入れたくなった。

 このテーマそのものは、照井先生の発行された私家版『国語教室』にあったものだ。その折の内容は主として1時間の授業について記したものだった。
 今回の講話では、主に一定期間を通しての焦点化された実践について語っていただいたと思う。

 いずれにしても「効力感」の主体は、教師そして子どもと両面のとらえ方がある。
 しかし、その点を明確に区分、関係づければ、もう少し具体的な例をつなげることができたかもしれない。

 つまり、A「子ども」に「効力感」を「持たせる」。
 そして、B「教師」が「効力感」を「持つ」。

 この二つは、同義ではないだろう。
 「効力感」という言葉のねじ繰りまわしではない。
 BがあってのAであるということだ。

 教師が、「学習の効果」を意図的に活用、波及させようと思い、そういう仕掛けや仕組みを作らない限り、子どもは「学習の効果」を実感できない。

 仕掛けは主として授業の場が大きい。
 仕組みは、学級経営や教科等全体の指導とも大きく関わる。

 仕掛けとしては、一単位時間で言えば学習過程の工夫や学習用語の取り上げなどが考えられるだろう。また今回のような単元を見通した導入による意欲の喚起も当てはまる。
 仕組みは、今日の講話で言えば、日記指導や聴写、辞書活用などとも関わる。長いスパンでの設定、評価などが絡んでくる。さらには学習の足跡の掲示なども該当するかもしれない。

 教師がこの二つをしっかり意識することによって、子どもの「学習技能」が高まり、国語科学習中における効力感つまり前に学習したことを生かしていると実感したり、他教科の学習などにおける効力感つまり、国語科で学んだことが使えると思ったりするのではないか。

 と言いつつ、子どもはいちいちそんなことを実感しながら学習するわけではないので、これもまたその時点で教師が意識づけする必要がある。

 その往復運動のようなものを頻繁に動かすのが効力感か…と、ひとまず当日の思いを書いておこう。