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重箱の隅~好きな俳句

2015年07月24日 | 雑記帳
 気まぐれとしか言いようがなく、しょうもないと笑うしかないノートが一冊見つかった。いいなあと思った(だろう)俳句を筆ペンで書き写している。そういえば、前世紀の頃にほんのちょっと続けて句作めいたことを、以前作っていたホームページに載せたことがあった。視写が一番と考えたのだろうか、その意欲はよしだが現実がこうでは情けなさだけが残る。


 それらの作品にも悪い気がする。贖罪の意味も込めて、ここにいくつか書き写してみよう。

 最初に記したのは、この句だった。

 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり(万太郎)

 この句をいいと思ったのは確か三十代後半ではなかったか。
 この情景を感じ取ったような気がしたとき、自分は大人になったのかもしれない(いや、老けたというべきか)。


 次にあるのは、この句だった。

 山笑う杉山よりも雑木山(無着成恭)

 これは、山間部への通勤が長かった自分の実感とぴたり重なったし、何より教師としてのあり方を教えられた気がして、心に残っている。


 2ページ目全部を使って、鈴木真砂女の句を7作挙げている。
 今読んでみると、どうして共感できたのか、おぼろげであるが、この句だけはドラマだなあと感じたことは覚えていた。

 羅(うすもの)や人悲します恋をして


 3ページ目も女流俳人から始まっていた。

 ふだん着でふだんの心桃の花(細見綾子)

 これは、先の真砂女と比べて、実に明るい色彩感がある。
 あっけらかんとした笑顔や生命感が印象的だ。


 最後の句は、作者の名をつけないまま終わっている。
 なんと実にいい加減である。(当然調べたら判明した)

 一心に生きてさくらのころとなる(桂信子)


 結局3ページの俳句には、8人の俳人の句があったが、なんと5人が女性だった。
 これは自分も意外だったが、つらつら思い起こしてみるに、他の俳人も浮かんだりするのでそうかもしれないと、一つ発見をした気分だ。


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