すぷりんぐぶろぐ

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いつまでも夢を問う

2015年07月22日 | 雑記帳
 かつて受け持った子たちに招かれて小宴を共にした。担任したのはもう20年以上前のことになる。初めての1年生、そして翌年は初めての複式学級、さらに組む学年を替えての複式と三年間持ち上がった。結果的に最後の学級担任となり、思い入れもあった。それにしても低学年時のことは記憶にあるものなのか。


 役立つかなと当時の学級通信の綴りを漁ってみた。一年生時は発刊数はなんと№244。次の年は教職でおそらく一番忙しかった年、複式で18名の人数がいた。さらに全県大会を抱える国語研の事務局だった。それでも№130の最終号だった。翌年は少し落ち着き、版を大きくして№140。やはり一つのバロメーターだ。


 授業記録や作文、そして文集的な号には親の声も多い。実に懐かしく、内容もそれなりに充実している(ように見える)。自分の思いが特徴的に表れているのは「夢」かなと考えた。きわめて一般的ではあるが、二年時、三年時はその言葉を締め括りとしている。たわいない憧れであっても、それが人を動かす源となる。


 30歳を越し、仕事を持ち、中には結婚し子どももいる現実がある。あの頃の夢は紙の中にしかないのかもしれない(一人だけ「およめさんになりたい」と書いた子は実現したが…)。しかし夢の中にこそ、その頃の自分がいるとも考えられる。とすれば、今の夢は…と問うことは、今の自分のありかを知ることになる。


 三年間のあとがきの題を「夢を叶えて」「夢を信じて」「夢を高くして」としたことは偶然ではない。そんなふうに後押しした自分にとって「30歳の子どもたち」との会話も、結局夢を問うものであった。仕事は面白いか、今何に夢中だ…と、そんな声を遮るように「先生、写真撮ろう!LINEにあげてもいいよね…」