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「んだ。んだ。秋田」に首傾げ

2015年07月27日 | 雑記帳
 先週、県が発表した観光キャッチコピーが、どうも気にかかる…「んだ。んだ。秋田」。コピー全てを同列には見られないかもしれないが、少し発表頻度が高いのではないだろうか。ついこの前「あんべいいな」とか「あきたびじょん」と言い出したばかりのような印象がある。そんなことをつらつら思い、ネット検索していたら一部同じように考えている人もいた。


 一つのコピーに固執しろというわけではないが、こんなふうに頻繁に出したら、結局根付かない「流行」のままに、忘れ去られていくのではないか。少なくとも5年スパン、やはり10年程度は同じでもいい。本県のような、言うなれば流行からは縁遠い?地域が、都会の真似をして次々に言葉を換えても、到底個性とは思えない。それに「んだ」だけでは弱いし…。


 さらに、このコピー?デザイン?も、前回と同じ梅原真氏の作という。経緯とかまったくわからないまま書くが、梅原氏なら「ちょっと早く変えすぎと違うか、アカンヤンカ」と言わなかったのだろうか。それとも、今までのコピーが実はあまり気に入っておらず、変えた方がいいと…。そう考えるとコピーの文言に拘れない我々県民のせいのようにも思える。


 「あきたびじょん」は、今思うとずいぶんに良い響きだ。「びじん」の写真とのインパクトが強かったが、そこだけ注目させるのではなく、「びじょん」を前面に出す工夫が必要だったのではないか。「んだ。」とは、許容、素直を表すまさに県民性そのもの。それ以上でもそれ以下でもない。何事も「んだ。んだ。」と言ってここまで来たツケが溜まっている面もある。

 
 「んだ。んだ。秋田」への「問い掛けの言葉」を考えることが「びじょん」だと積極的に位置づけてみる。確かに幅広く考えられる設定だ。とすれば、必須なのは先進的な問い掛けを放つ存在、つまりリーダー。その言葉(なかみ)と魅力が第一要素だ。そしてムーブメントを起こす主体は「んだ」と言う存在になるはず。つまり求めているのはフォロワーシップ。