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高質な田舎へのアプローチ

2015年07月28日 | 雑記帳
 「んだ。んだ。秋田」を考えていたら、県発行のフリーマガジン『のんびり』のタイトルそのままを、キャッチコピーにしたらどうかと思った。「のんびり」気質そのものは、スピード化の世の中では否定されそうだ。しかしもう一つの意味「ノンびり」という「順位気にせず精神」こそ、我々が持つべきではないか。学力にしろ、自殺率にしろ、人口減少にしろ。


 それはさておき「のんびり」の今号では、「道の駅十文字」が取り上げられている。車で15分もかからないので、たまに立ち寄るがいつ行っても車が並んでいる。売り上げでも注目の施設だ。その原動力になる小川健吉さんの話を聞いたことがある。道の駅を立ち上げた頃だと思う。実に明朗でエネルギッシュ、リーダーかくあるべしという人物で印象づけられた。


 今回の特集名は「高質な田舎をめざして」。「高質」とはあまり使わない。本文にもこうある。「そもそも『高質』という言葉は存在しません。けれど、その意図するところは、決して『上質』でも『高品質』でもないのだという、ある種のわびさびを~~(略)」。この「高質な田舎」という表現は、なんと県知事の語った言葉だという。調べてみたら議会答弁があった。


 うーん、行政者としてはごく自然な解釈だろうな。でも、広辞苑にもないこの「高質」という言葉が、「田舎」と結びつけたことは、もう少し考えを詰めてみてもいいのではないかと思う。つまり「田舎の質」とは何か。知事答弁はもちろん間違いではないし、理想的な姿とは思うが、アプローチとしての焦点化がない。良いも悪いも田舎の現実を見据えるべきだ。


 ゆえに「道の駅十文字」が取り上げられたか。一つには、中心をなす農業の売り方、次に人の招き方や使い方、それも高齢者をどう巻き込むかが意識され、それに付随して広がりを見せていると思う。いわゆる六次産業化というのだろうが、それを「楽しくやる」「楽しませる」人的存在が大きいと分析する。モノ、コト、ヒトの掘り起こしとアピールに尽きる。