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「病」を考えるという病

2015年07月06日 | 雑記帳
 「『力』本に続く出版界のトレンドは『病』本」という文章を、さる方のブログで目にした。雑誌編集長の言葉らしい。先日、行きつけの小さな書店でどうかなと思って見回してみた。まだまだ「力」本は多いなあ…さてさて「病」本は…。あった『家族という病』。他には『父という病』『母という病』…だけか。


 まだそれほどとは思えない。しかしネットで調べたら確かに他に5冊ほどあった。それにしても、これは確かにつけやすいネーミングだ。「~~~という病」。職業上あっさり考えれば…「学校という病」「教師という病」「校長という病」…おおうっ、これなら自分にだって書けるかもしれないという気になる。


 それは「病」と比喩できるものが、目の前にたくさんあるという証拠か。学校を例にすると、「症状」を書きだせる。結構、様々な様相がある。いくつかの具体的な「症例」も挙げることができるだろう。そして、その「原因」となる要素も書きだせる。複数の要因があって、それが絡み合って対象を蝕んでいく。


 書いていくうちに「生活習慣病」に近いのかもしれない、なんて想像する。加齢が大きな原因だが、これらは外的な環境からの影響が大きく、それに対する日常がどうあればいいかと関係するか。いや、ひょっとして精神的疾患に近いのかな…いずれ長い治療期間が必要になってくるのか。おっ、治療プランも書けるぞ。


 手術もある、特効薬もある。しかしそれを誰が認可する。そもそも「病」であることを自覚していない。ちょっと顔色悪いよ、調子がよくないんじゃない、この薬飲めば治るよ…という程度にしか見られていない。つまり、病人がほおっておかれる社会そのものが「病」。『日本社会という病』…もう既に出ているか。