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煌言6~逡巡する時間

2016年01月07日 | 読書
☆経営は教育を補強し、強化するために必要だが、経営の論理が教育に取って代わることはできない。経営は基本的に合理だし、教育は非合理を抜きがたく組み込んでいる。(略)教育を合理的(経済効率的)にすれば、教育や人間の持つ非合理性を排除するから、かえって、教育や人間は不安定になる。
 諏訪哲二『間違いだらけの教育論』(光文社新書)


 不安定になった教育や人間が向かう先はどこか。
 それらも合理的な枠組みの中で処理されていくのだろうか。

 合理は、幸せを求めるための考え方である。
 生産性を高める、能率的に物事を行う…それは真っ当なことであるが、それだけを正当化してしまうと、きっと「幸せの質」という根本的な問題に突き当たる。

 今、仕事場で、私たちが合理的に解決しようとしていることと非合理も認めなければならないこと…その間で逡巡する時間に意味がないとは言えない。