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煌言15~教材研究は社会的行為

2016年01月20日 | 読書
☆教師は、さし当たりの自分の授業の必要に迫られて教材をつくる。ところがその教材は子どもの認識成立の法則性をすくいとっている度合いに応じて、つくった教師の個別的な作業の範囲をこえて、社会的共有物になるのである。教師の教材研究は本質的に社会的な行為である。
 藤岡信勝『授業づくりの発想』(日本書籍)


 「社会的な行為」といったことはあまり考えたことがなかった。
 しかし「子どもの認識成立の法則性」という点は、常に頭にあったように思う。
 例えば国語の読解であれば、よく野口芳宏先生が仰る「子どもの読みの限界」というポイントも深く結びついている。

 教科の違いを超えて言えることは、教材そのものと教授行為や指導言を、子どもの認識という糸で結びつけることが教材研究だろう。