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煌言36~教育の選択が提起すること

2016年03月07日 | 読書
☆学校は「選ぶ側」であり、子どもや保護者は「選ばれる側」であったから、そこには対等の関係は生まれなかった。一種の閉塞感が漂い、子どもと保護者の間に、不満や批判が静かに沈殿していた。
「選ばれる側」に身をおくことで、これまでの教育活動を、真の意味で子どもや保護者が満足するものに変えていこうとする意識が高まる。

 向山行雄『平成の校長学』(明治図書)


 10年以上前のこの認識と識見はどう教育界に働いただろうか。

 地方の多くは、例えば「学校選択制」にはまだほど遠い現状であり、近い将来の話でもない気はするが、選択を求める保護者の意識の変化はある。
 しかし、そのほとんどは「個」の希望、しかもいわば目先の興味・関心に基づいた選択に見える。

 選択の幅が拡がることは喜ばしいのだと思うが、その良さを活かすほどに社会が成熟していない。
 顧客の満足度を何を基準に計るか、また、教育はその観点の重視で充実するものなのか…これは行政の根本に据える問題である。