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「反省するな」と念じて書く

2016年03月09日 | 雑記帳
 毎年、自己嫌悪に陥る定例の仕事がやってきた。卒業証書の氏名書きである。この時期ばかりは、もう少し書写・書道に精を出すべきだったなと後悔する。そしてすぐ忘れるから繰り返している。結局のところ、諦めているのかな。毛筆でなくペン字もそうだが、どうも書く文字の不安定さ、一定感の無さが際立つ。


 小学校の5,6年生担任のK先生は書道が堪能だった。希望者には「書友」という月刊誌を紹介し、月に一回課題を書いて送ることを薦めた。自分も含めて何人かは参加したと思う。昇級があることが励みで一定期間続けた。中2ぐらいまでやった気がする。最終的には2段だったか。その割に、上達感はなかった。


 高校はなかったが、大学では書道の授業をわずかながら受けた気がする。しかし具体的なことはさっぱり思い出せない。一応は国語教育を志していながらこの向学心のなさを今さら嘆く。仕事につき「教える」ことに関しては、結構はまった。当時「邪道」と呼ばれた「かごうつし」「ほね書き」指導はいい思い出だ。


 上達するぞと発起して、通信教育を2年ほど続けた。ここで自分の癖に気づく。添削を仕事にしている方々はさすがと思った。いい点も認めながら鋭く改善点を指摘してくる。具体的には例えば画数の多い字は膨らむ傾向があり、なかなか直らない。草書やひらがなまで進んだのだけど、確信の持てる書き方には程遠い。


 新任教頭で赴任した時のK校長は、毛筆の達人だった。教えてほしいと数カ月ほど手習いしたが、身につかなかったのは全く自分の怠慢だ。結論めいたこととして、精神の不安定が字に表れると悟った。今、証書を書いてもその繰り返しであり、一文字書いてがっくりきている。「反省するな」と念じて書く日が続く。