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煌言45~教師の主観とからだこそ

2016年03月21日 | 読書
☆子どもが、“子ども”として育ちにくい土壌になってしまったことは、間違いない。しかし、この土壌にあっても、あっという間に子どもは変わる。一月あれば、“学びに向かう子ども”になる。一年あれば“学ぶからだ”をもった子どもが育ってくる。
 岩下修『学ぶ「からだ」を育てる』(明治図書)


 数字に表せないことを「一月」「一年」と限定して語ることができる境地には、積み重ねられた経験があることには違いない。

 一定の数値データに頼る部分はあるにしろ、それ以上に子どもの姿を全身で受けとめる教師の主観こそ鍛えられなければならない。
 「学ぶ『からだ』」をもつ子を育てるために必須なのは、結局のところ、学ぶ「からだ」を持っている教師自身とは言えまいか。

 学ぶ「からだ」の本当の評価は、少なくともそんなふうに学びを希求する人にしか出来ない気がする。