すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

この問いかけが提起すること

2017年03月12日 | 読書
 「『小学校の英語教育義務化』で、最後に利益を得るのは誰か?」が、第4章の冒頭に問いかけられる。その結論が、授業をうける子ども及び日本社会と言い切れるのなら、こんな本は出版されないし、また多くの人が手を伸ばしはしない。マイクロソフト日本法人の元取締役、稀代の読書人である成毛眞のペンは鋭い。


2017読了24
『日本人の9割に英語はいらない』(成毛 眞  祥伝社黄金文庫)


 小学校における英語教育拡大は「総合的な活動の時間」が創設された時点から、既定路線のように進み、今回の指導要領という形になった。国際化、情報化が広がるなかで当然という見方はあるが、「では何のために、どの程度」と問えば、現状と照合していない点も多い。教科化によって競争の道具にされる要素もある。


 英語、英会話を学ぶことがコミュニケーション能力の向上に寄与する部分はあろう。また、外国に関心を持ち、外国語に慣れることも批判されることではない。ただ限られた公的教育内容の中にどの程度の位置づけをするかは、真剣に慎重に検討するべきである。英語重視という「空気」がもたらす弊害はないのか。



 今だから白状すれば、外国人の英語指導助手の方が来校すると、職員もほとんど英語で挨拶し合うことに少し違和感があった。子どもに英語を教え合う一員同士であることには違いないが、別に日常挨拶を英語優先にする必要はないだろう。ここは日本なのだから、この国にいるのだから、この国の挨拶をすればいい。


 往年の漫才師人生航路のような調子と知りつつ、やはりその場面は結構象徴的ではないか。些細なことと笑うなかれ。文化的侵略なのだ。著者は、諸外国の現状や歴史的経緯を踏まえ、結局のところ「たかだか金儲けのため」と英語振興のねらいを喝破した。グローバルな思考が英語習得で鍛えられるわけではない。