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コミュニケーションの要

2017年03月08日 | 読書
Volume42

 印刷機器を作る会社から発行されている季刊誌は、毎号コミュニケーションをテーマにしたインタビューが冒頭記事である。
 いわゆるプロフェショナルたちの視点が面白い。



「楽譜があれば、歌ってみせたり、楽器を弾いてみせたりすることでコミュニケーションは成り立ちます。もちろん、言葉の方が細かなニュアンスは伝わりやすいですが必須ではありません」(ヴァイオリニスト 前橋汀子)

 何のためのコミュニケーションかということを考えさせる。
 目的さえはっきりしていれば、言葉は必須でなくなる。
 伝えやすい道具ではあるが、時々それだけに頼り大事なことを見失うときもある。


「一人で球(アイデア)を持ち続けることはNGです。とりあえず相手にパスを出し、パスを受けた者はさらにパスを出す。そんなパス回しの中から、どんな建築物にするのか、進化させていくわけです」(建築家 隈 研吾)

 設計のためのアイデアが、パス回しによって膨らみ、形を成していく過程を大切にすること。
 それは、何かを作り上げるコミュニケーションの典型である。
 関係性はパス回しの意識を持つことで深まる。


「厳しい環境の中で暮らしていると、昔の社会では当たり前だった客人を迎えたときの反応が自然とよみがえるのかもしれません。極地での生活には、私たちが忘れてしまっているコミュニティの原点があるような気がします」(植物整理生態学者  田邊優貴子)

 声を出して盛り上がる、手を振る、抱きつく…それらは日常でも時折見られる姿だが、南極等で研究に従事している方々が来客時に見せるそれらの行為は、身体の芯から発せられるものではなかろうか。
 人間は他者とつながりたいと願いながら、結局自分たちの作った何かに邪魔をされているとしか思えない。