すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

水を差す男

2017年03月24日 | 読書
 ここにもいた。「水を差す」男。この人はその行為をこう語る…「こもりがちな空気は常に換気すべきなのである」。私であれば小豆煮に喩え、こんなふうに捉えている。「料理に限らず物事は熱で進む。ただあまりにも強火だったり、煮続けたりすると煮こぼれる。状況を見て少し冷ます必要がある」。その役割は大事だ。


2017読了30
『結論はまた来週』(髙橋秀実  角川書店)



 この本は10年ぐらい前に書かれた文章も収められている。当時から数年前まで見られた様々な風潮に、水を差し続けている著者の記録だ。「脳ブーム」「グローバルスタンダード」「自分探し」「ミシュラン・ガイド」「上から目線」「うつ」…と、単純に言えば「流行」のモノ・コトを、斜め47度あたりからバッサリ斬る。


 「『本当の自分』こそウソ臭い」の章は、水を差す真骨頂だ。どこかに「本心」というモノが実在していると信ずる心理を、こう言い切る。「『本当の自分』という発想は、本人は逃げ道を確保しつつ、こちらの評価を観照できるポジションに立つということ」。本人が探る「本心」などいかほどのものか。そんな暇はない。


 当然ながら「個性」や「自分らしく」という常套句も斬られる。自意識の拡大が世の中に広がった場合の窮屈さを、漱石の小説など引用して語る。「人は名前があるだけですでに個性」という一文もお見事。そんなふうにみんなが思えたら楽だろう。個性を謳う世の中は、実際は長所ばかりに目をつけ弱点を疎外する。


 「うつ」という言葉から転じた「器(うつわ)」に目を向け、人間は内面にこだわり過ぎるという指摘も頷ける。当時のヒット曲を揶揄したまとめに納得した。「私たちは『世界に一つだけの花』ではなく、『世界に一つだけの花瓶』。さあ、いろいろな花を生けてみようではありませんか」。そう、水を差すことも忘れずに。