すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

個が決める。物の支配

2017年03月28日 | 読書
 何度目かは忘れたが『北の国から』の再放送を観た。2002年最終篇の重要なポイントが「拾ってきた家」にあることは、ファンなら承知のことだ。それはこのドラマで倉本聰が一貫して言い続けてきたことの、一つの結論だろう。使い捨ての物質文明に対する批判と、最後に何が残るかを明示した結論は印象深い。



2017読了32
 『人にはどれだけの物が必要か』(鈴木孝夫 新潮文庫)


 この本の存在は知らなかった。裏表紙には「地球規模の環境破壊を前に、人間と社会のありかたを問い直し、究極的エコロジーライフの実践を説く古典的名著」と記されている。確かに、時代は少し前だけれど、著者自身の徹底的な倹約やリサイクルを紹介しつつ、それを実践する根拠と理念について論理的に語る。


 「人にはどれだけ物が必要か」という問いかけに対する結論は、直接的に書かれていない。なぜかは誰しもわかる。つまり「人」が様々であるから。ただ、それが最大の起点になっていることは自覚しよう。地球上に暮らす「人」の生活の違いは、「物」の需要供給の偏りに支配されているが、個が決めることもできる。


 著者は「地救(球)原理」つまり「地球は自分のもの」という認識を持つことを呼び掛ける。そうすれば、日常の暮らしにおいて、または政治的な行動の仕方において、一定の筋道を作ることができるはずだ。しかし現実は、個人レベルでも、国レベルでも厳しい。著者は諦めてはいないが、次のように書いてもいる。

 「われわれ人間が生きるためと称して、どんどん森を切り干潟を埋めていろいろな物を生産し、それを無駄に消費してゴミの山を築くのも、これまた自然の定めで仕方なのないことなのかも知れないと、何か悟ったような気持ちになったりもするのである。」


 ここには「人間もまた自然」という意味を、複層的にとらえる考え方があり、では今、一人一人がどうするという新しい問いも生まれてくる気がする。