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桜と絵本と豆乳と

ダジャレ主任ぐらいで

2017年03月14日 | 読書
 「私のことは、これからダジャレ大王と呼びなさい」と、偉そうに一年生に言い放ったら、しばらく「大王様」と呼んでくれる男の子がいた。利発な賢い子で(そう言えば、私が担任した子の息子であった)自分でもダジャレを言って楽しんでいた。ずっと思ってきたが、そんなふうに楽しめる子は言語能力が高い。


2017読了27
『ダジャレヌーボー』(石黒謙吾  扶桑社)



 現場を去りダジャレ大王の威厳もなくし、刃もとうに錆びついてしまった。さらにこんな本を読むと、自分が大王などと名乗ったことの不明を恥じる。著者は自らを「ダジャレ係長」と命名していて、この著のダジャレ収録数はなんと1000。仕事師である。そんな本を前に弟子入りしたい気分になる。主任ぐらいで。


 載っている「作品」に思わず吹き出すものも多いが、それ以上に理屈が面白い。「『あることばを意識して、ほかの似たことばと結びつける』これはことばの「見立て」にほかなりません」…見立てという日本文化の象徴のような考え方を用いて説明するあたりが、自称「知的ダジャラー」(笑)の心をくすぐり、納得させる。


 発刊が10年以上前なので、もはや流行に取り残されているものもある。ここらで著者に挑戦してみようと、昨今の話題で作ってみると…「もういいとも学園」(注:森友学園)、「パックくれ、大統領」(注:パククネ大統領)「気志團、超鈍(のろ)し」(注:騎士団長殺し)…あまりにも無理やり唐突過ぎて、自分でも笑えない。


 ダジャレはその場で発生させるもの。筆者は「流れ」と「タイミング」と表す。そして「後処理」が加わっての「総合芸術」と位置付けている。店に入ってからシャレを発するまでの伏線の張り方も記され、実に興味深い。夕餉の食卓で「『しいたけお』(注:地井武男)美味しいね」というレベルからは、遥か彼方だ。