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快挙への道を振り返る

2017年03月27日 | 雑記帳
 語られずにはおられないが、語ることのできない境地のような…。

 様々な報道、情報番組等で今回の稀勢の里優勝は取り上げられるだろう。
 単純に「喜ぶ」ということを超えた心持ちだ。

 相撲ファン、稀勢の里ファン、関心はないが話題なので、という人、それぞれの捉え方があるが、3月26日の「快挙」はいつまでも残る。

 「がっかり山」と呼んで御免なさい。
 去年の秋から書いてきたことをきちんと示します。


9月13日秋場所
 秋場所初日、満員御礼。初めての聖地にはたくさんの発見があったが、それはさておき、取組は波乱の幕開けだった。大相撲を見ている方なら、誰もが注目している稀勢の里。タクシーの運転手、夕食時の隣席の人たち、翌日の寄席での落語のマクラ…頻繁にその敗戦が語られた。それはまさしく「メンタル」だった。


9月27日秋場所
 一方の稀勢の里。家庭内で勝手に「がっかり山」と名づけた。素人が見てもわかる技術的な欠点を修正できないままに、夢が小さく萎む結果となった。これだけ日本中の声援を受けながら上へ進めないのは、稽古や準備の様子を聞くにつけ、本人はもちろんだが、周囲にも責任があるような気がしてならない。残念だ。



11月26日九州場所    
 結局、豪栄道の綱とりはなくなり、稀勢の里の少しの復活?が見せ場をつくることとなった。最終的に1,2敗に残る2横綱がこの後どうなるか、先は読めない。どちらが勝ち抜くにしても力が拮抗していることは確かだ。王者白鵬は棚上げしても、番付が上の者が、番付通りの勝敗を残すことが最も大事だと改めて思う。


1月24日初場所
 求めたいのは気迫、精神力。ただ、それをどのように発揮するかは一律ではない。大相撲という極めて日本的なパターナル社会の中でも認めざるを得ない。しかし、もし一敗で並んだ場合のメンタルを考えれば、その後の取組の不安要素は、比べ物にならなかっただろう。その日の勝負の神が微笑んだというべきか。