シャカイやセカイはいつも動いているから、踏ん張らないと立ち止まることさえ出来ない。
踏ん張るため、立ち止まるため、それは次の動きを定めるためだけれど、僕はいつもコトバに目を留める。
Volume46
じぶんたちが「せまい世界」にいるということ。
つまり、ほんとは、世界というものはもっと広くて、
その広いところで生きるのはむつかしいから、
当面の適当な居心地を優先して、
「せまい世界」にいるんだと、知っていたいものだ。
それこそ業界だとか、地元だとか、趣味の世界だとかは、
小さな一部分にしかすぎない「せまい世界」なんだと、
こころに留めておかなくてはいけないと思うのだ。
これは、先週「今日のダーリン」に糸井重里が寄せたコトバ。
言いたいことは、個々が「せまい世界」を自覚し、開放や換気を心掛けようということなのだけれど、なんだか本当の「世界」がきな臭くなってきた。
「せまい世界」の象徴でもあった某国を巡った攻防だ。
そうなると私たちは、私たちの「せまい世界」を守るために、もう一つ二つ上の世界を注視しなくてはならない。
Volume47
「晩婚が少子化の問題であるなど話す学者もおりますが、それは結果に過ぎず、僕は生活が不自然なことが少子化の原因だと思っているのです。特に注目すべきは、食事です。食欲と性欲が脳のなかで極めて近しい関係にあるのはいまや常識で、誰でも食欲が満たされると、性欲が軽減するような経験はあると思います。」
「秋田県の少子化対策について」への質問に、かのクリエーター高城剛(沢尻エリカ様の亭主だ)が答えた文章の一節。
(藤川崇氏のブログページより)→http://www.fujikawa.biz/entry/2017/03/25/075219
面白いというだけでなく、傾聴に値することではないか。
例えば、「食で人を引き寄せる」手法の広がりは言うまでもなく、その進行は止まらない。そこに潜むエゴもあぶり出されてくる気配がする。
高城氏が結論として言ったことは「まずは、過剰な食事を止めるべきです」ということ。
Volume48
「英語運用能力については、その有用性について誰一人異論を口にしない。けれども、その期待される有用性とその学習努力のために投じられる手間暇を『ベネフィット』と『コスト』で計算した場合、帳尻は合うのか。『実学』を論じる人たちの経済合理性に対するこの無関心に私は驚愕するのである。」
「役に立つ学問」という特集に向けて寄稿した内田樹氏の文章の一節。
グローバル社会や観光立国等々、なんとなくイメージで語られながら、その明確な将来像と教育の関連は深く討議されないまま、流行りのように進行してもいいものか、と改めて思う。
「世界」に関心を寄せているように見せかけながら権益を広げようとする輩を見抜けないようじゃ、足元すくわれるぞ。
踏ん張るため、立ち止まるため、それは次の動きを定めるためだけれど、僕はいつもコトバに目を留める。
Volume46
じぶんたちが「せまい世界」にいるということ。
つまり、ほんとは、世界というものはもっと広くて、
その広いところで生きるのはむつかしいから、
当面の適当な居心地を優先して、
「せまい世界」にいるんだと、知っていたいものだ。
それこそ業界だとか、地元だとか、趣味の世界だとかは、
小さな一部分にしかすぎない「せまい世界」なんだと、
こころに留めておかなくてはいけないと思うのだ。
これは、先週「今日のダーリン」に糸井重里が寄せたコトバ。
言いたいことは、個々が「せまい世界」を自覚し、開放や換気を心掛けようということなのだけれど、なんだか本当の「世界」がきな臭くなってきた。
「せまい世界」の象徴でもあった某国を巡った攻防だ。
そうなると私たちは、私たちの「せまい世界」を守るために、もう一つ二つ上の世界を注視しなくてはならない。
Volume47
「晩婚が少子化の問題であるなど話す学者もおりますが、それは結果に過ぎず、僕は生活が不自然なことが少子化の原因だと思っているのです。特に注目すべきは、食事です。食欲と性欲が脳のなかで極めて近しい関係にあるのはいまや常識で、誰でも食欲が満たされると、性欲が軽減するような経験はあると思います。」
「秋田県の少子化対策について」への質問に、かのクリエーター高城剛(沢尻エリカ様の亭主だ)が答えた文章の一節。
(藤川崇氏のブログページより)→http://www.fujikawa.biz/entry/2017/03/25/075219
面白いというだけでなく、傾聴に値することではないか。
例えば、「食で人を引き寄せる」手法の広がりは言うまでもなく、その進行は止まらない。そこに潜むエゴもあぶり出されてくる気配がする。
高城氏が結論として言ったことは「まずは、過剰な食事を止めるべきです」ということ。
Volume48
「英語運用能力については、その有用性について誰一人異論を口にしない。けれども、その期待される有用性とその学習努力のために投じられる手間暇を『ベネフィット』と『コスト』で計算した場合、帳尻は合うのか。『実学』を論じる人たちの経済合理性に対するこの無関心に私は驚愕するのである。」
「役に立つ学問」という特集に向けて寄稿した内田樹氏の文章の一節。
グローバル社会や観光立国等々、なんとなくイメージで語られながら、その明確な将来像と教育の関連は深く討議されないまま、流行りのように進行してもいいものか、と改めて思う。
「世界」に関心を寄せているように見せかけながら権益を広げようとする輩を見抜けないようじゃ、足元すくわれるぞ。