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カゲの人、かく思う

2017年04月17日 | 教育ノート
 県の教職員広域交流異動が本格的に始まったのは、平成16年度だった。
 その年に見事に(笑)該当者の一人となった自分である。
 と言っても私の場合は完全に自宅通勤できる距離だったので、さほどの負担はないと思ったのだが…。
 
 異動する直前の2月に4週間、筑波の教員研修センターへ研修に行き、他県の参加者と交流し県毎のあまりの違いに驚いてきたばかりだったが、同じ県内であっても郡市毎の違いの多さに、結構な驚きを感じた。

 全県的にはそれがストレスになったのだろうか、身体を壊した教員が複数出た年度であったこともよく覚えている。
 現在は、あまりそういった話は聞かない(これを一面では、平坦化もしくは没個性化とも言うだろう)



 下の拙文は、上部の目に入る紀要原稿なので、かなり遠慮がちに書いている。しかも限られた紙幅で抑え気味の内容だ。
 しかし自分の一面の総括がよく出ていると改めて読みながら思った。


・・・・2006.2 郡市教頭会紀要 「『カゲの人』と呼ばれて」


 「実は、平鹿や雄勝の人たちのことを、わたしたちは『カゲの人』と言ってるんですよ」

 にこやかな顔をして、当時の東由利町A町長さんがおっしゃった言葉だ。

 広域交流人事が大きく動き出した昨年度の4月、南管内からT小へ赴任した私には深く印象に残る言葉だ。
 一緒に着任した方々はどう受け止めたのだろうか。

 カゲというのは、東由利地区からみれば当然「山の陰」であり、通行状態があまり良くなかった時代に使われそのまま残っているということだと思う。
 今でも時折、地元在住の校務員たちの口からポロリと洩れることがある。

 「カゲ」という言葉そのものの印象はというと、何か神秘めいていて想像がはたらく。
 村の古老が
「カゲには近づいちゃならん。そこに行けば必ずタタリがある」とか
「カゲの奴らがやってきた。あいつらの言うことは、全部嘘っぱちじゃ。けして信じちゃならねえぞ。」なんて言うイメージだ。


 管外から来た者にとって、教育活動や日常業務のことで些細な点について違いを感じることは多かった。

 しかしカゲという立場を自覚して?あまり口を挿まない様に心がけきた…
 と、そんなことはないのだが、一つの手法やシステムの良し悪しはそんなに簡単に決められるものではないと改めて思う。

 自分たちのしていることを「良いと信じる」ことは、教育にとって大きなエネルギーの一つだし、それなしには子供たちを導くことはできない。

 「カゲの人」は、そんなふうに会議の度に繰り返される「由利の教育」という言葉を聴いている。

・・・・・・