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源はやはり稀な人

2017年04月11日 | 雑記帳
 検索で「星野」と入れると、「星野リゾート」より「星野源」が上にくる…どうでもいい情報だ。久しぶりに月刊誌「ダ・ヴィンチ」を買ったのは、その星野源特集だったことも理由の一つ。大いに興味あるというほどではないが「第九回伊丹十三賞」の授賞者である。糸井重里、タモリ、内田樹…彼らに並ぶ価値とは?


 伊丹十三記念館のサイトには、今回の授賞理由を次のように記してある。

 「音楽、エッセイ、演技のジャンルを横断し、どこか息の詰まる時代に、エンターテイナーとして驚くような風穴をあけてしまった星野的表現世界に。」(伊丹十三賞選考委員会)


 「驚くような風穴」という力の入った形容に、少し驚いてしまう。「逃げ恥」「恋ダンス」の話題性が後押ししたとはいえ、それまでの積み重ねが認められたことは言うまでもあるまい。そんな気持ちで誌面を読み始めた。結論はおそらく「普通さ」にあるが、それはきっと「素直な気持ちの維持」へのこだわりだろう。


(2017.4.10 夕刻)

 星野源という存在をはっきり認めたのは、あのドラマだったことは覚えている。深夜枠のドラマ「11人もいる!」。宮藤官九郎脚本、妻の幽霊と共に暮らす家族のドラマの中で、居候のように登場する無職の叔父役だった。毎回ギターを弾きながら歌う設定があり、その「無造作」な雰囲気がなかなかいい味を出していた。


 その後は個人的にNHK「LIFE!」のレギュラーとしての印象が強い。記事の中では、評判の高かった映画『箱入り息子の恋』を例に役者論を語っていた。「役のことだけを考えて、自分の体を貸すというか、その人として世界にいるように感じられる、自分がなくなっていく感覚」…戦略や評価重視からは遠い価値観だ。

 
 『ダ・ヴィンチ』が取り上げたのは、文筆家としての連載があり単行本も発刊しているからだ。その連載エッセイを初めて読んだ…うーん、上手い。だらだらと日常を書いているように見せて、組み立てや落とし所を見事に心得ている。「誰にもわかる」ことをこれほど深く理解し表現できるとは…。やはり稀な人である。