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おへそと子供と

2017年04月06日 | 読書
 最近へそをまじまじと触ったことがあっただろうか。もう何年も意識して触ったことがないように思う。まあ、風呂で身体を洗うときに触れてはいるのだけれど。考えるまでもなく「自分」が一個の存在として始まった貴重な「跡」。最も重要な部分とわかっているけれど、ふだんあまり認識をしていない箇所でもある。



2017読了34
 『にんげんのおへそ』(高峰秀子 新潮文庫)

 文章の名手として知られる往年の名女優が書いたエッセイ。かなり特殊な人生を歩んだ人だ。その生い立ちや「家族」との不幸な歴史について少しは知っていた。ここで自身が淡々と語った養母との関わりは、ある意味で頑なな性格を形作ったことは確かだろう。しかし、それがまた魅力を作ったようにも感じられる。


 題名に取り入れられた「おへそ」という文章は、撮影所時代の監督やスタッフについて書かれたものだ。その方々を「魑魅魍魎」と称し、撮影時の個性的なエピソードを綴っている。結びは「撮影所の魑魅魍魎たちには、ちゃんとおへそがあるのです」。この比喩は「筋の通った清々しさを持つ個性」と読み替えていい。


 著者こそ「おへそ」を持ついい典型だろう。また個性的な夫との暮らしをユーモアいっぱい描いたり、様々な出逢いを通して人間の機微というものをとらえたりしている。観察力が秀でているし、しっとりした筆致も「読ませる」。さらに、名子役としての期間が長かった著者が記す子供論が、実に興味深く心に沁みた。

 私は昔から、子供は大人の小型とおもっている。子供の言語は大人にくらべて少ない。子供は大人のようにへ理屈をこねたり、ややこしい表現はできないけれど、身体全体が一個の感受性のようなもので、鋭敏であり、残酷に近く怜悧でもある。子供には、鋭い感受性はあるけれど、大人の鈍感さはない。

 
 特殊な環境に育ったゆえの偏った見方と言うなかれ。引用したこの一節には、子供と関わるうえでの大事な視点がある。