すぷりんぐぶろぐ

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1%の悪の成立

2017年04月07日 | 読書
Volume45

 「鳥の中の1%が托卵により自分の子孫を残しています。私は、この1%が自然界で托卵という悪が存在できる限界の値ではないかと考えています。99%の鳥がまじめに自分で子育てしているので、1%の托卵という悪が成立するのでしょう。同じことは、人間社会にも言えます。いつの時代にも悪人が存在するのも同じ理由なのです。両者がこの割合で存在するときに、社会は最も安定するからです。」


 「托卵」とは、自分では子供を育てず他の鳥に子育てをさせる習性のこと。
 カッコウが有名であるが、ホトトギスなども同様であるという。
 地球上に生息する鳥の種類数をもとに推定される割合から、中村浩志信州大名誉教授は、自らの考えをそんなふうに記していた。



 カッコウの托卵の過程にさほど興味はないが、人間社会に置き換えた部分は考えさせられる。

 99対1がそのまま善と悪の割合とは言えないようにも思うが、いずれ人間社会にある悪の存在についての肯定的なとらえ方は納得できる。
 俗にいう「必要悪」とは意味は違うが、悪は善や正義の相対的な観念でもあるだろうし、悪はそれらから必ず生み出されると言ってもよくないか。


 歴史や外交などの大きな部分で語らずとも、例えば「職場」や「教室」という空間にも1%の悪は存在したほうがいい、いや存在するのが自然と考える。

 それは特定の誰かを指すことばかりでなく、分散されて複数にあるイメージも湧く。

 その悪の刺激によって、「社会」を維持するための営みがより動的に続いていくとでもいうべきか。
 悪をどんなふうに認めるかが、安定のための基盤となっていく。