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死者に表れる人権とは

2018年04月18日 | 読書
2018読了42
 『孤独な死体 法医学で読み解く日本の今』(上野正彦 ポプラ新書)


 ちょうどひと月前も、著者の本を読み感想メモを残していた。その時も書いたが、昔と違って法医学が登場するTVドラマが一般的になった。フィクションとして、物語性を織り込みやすいということだろうか。「死者は嘘をつかない」設定が作りやすさに結びつくか。現実が、多種多様な姿を見せていることも要因だ。


 あとがきの結びとして次の文章がある。「死者の人権が守られ、彼らの死がよりよい生へのヒントになることを心から祈るばかりである」。「死者の人権」とは重い言葉だ。考えると、人権とは当の本人にあるものに違いないが、周囲に及ぼす価値が当然ある。家族や身内はもちろん、「死に方」が背負うものは結構大きい。


 その意味で「子どもの自殺は他殺に等しい」という著者の主張に強く頷ける。例えば、いじめ、一家心中などは典型的である。法医学者の目で死体を観察した時に、そこに現れる衝動性、無計画性が未熟な自我であることを、著者は読み取る。本当の「死因」とは何かに向き合うことは、まさに人権の問題であろう。


 この書では、自殺以外にも乳幼児の虐待死、高齢者の孤独死、そして過労死の例が取り上げられている。いずれも、数十年前には件数が少なくあまり表面化していなかった。社会構造の変化とともに顕在化してきたが、著者を初め監察医等の尽力も見捨て難い。まだ全国的に普及していない事実は残っているのだが。


 「死に方」が「生き方」以上に話題になる社会、それは明らかに進行中である。きっと死因からわかることは、ほとんどの場合その人の必然なのだろう。どんなふうに生きたかが表れる。言い方を換えれば、いかに人権を守ろうとしてきたかも問われる。生きている以上偶然は付きまとうが、結局、自分が引き寄せている。