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人は誰も雲をつかみたい

2018年04月28日 | 雑記帳
 そう言えば「迷惑メール」にはあまり縁がなくなった。最近はブロックがしっかりしていて、自動的に振り分けてくれるから心配ない。でもほんの少し寂しい気持ちが浮かんできたのは、中田健太郎という批評家が『ちくま』誌の「雲をつかむような方法」という連載で迷惑メールを取り上げた文章を読んだからだ。



 「われわれの迷惑メールフォルダのなかには、魅惑的なさそいかけの一大標本がある」とある。確かに以前は結構な数が、受信フォルダに収められていたから、プレビューで目に入ることも多かった。「彼女」「彼氏」たちからの甘い誘いオンパレードだ。最近は「性的な申出よりも金銭的な授受の話題」が多いという。


 中田氏は、発信者が「深窓の令嬢・令息」であり、受信者の反応の無さに「返事をしないわれわれの怠惰をなじる」と妄想する(笑)。実現可能性の低さを、多くの人が知ってそうなるわけだが、可能性はゼロではなく、どこかで実現すると考えるのは「数学的な間違いを含んでいるとしても詩学的には消えない」と書く。


 面白い発想する人だ。ありえないが、一瞬でもその内容に惹かれたことは妨げられない。ああ、それで「雲をつかむような方法」なのか。人は「」(金銭や男女関係のことだけでなく)をつかみたいと考えている。言葉はその重要な方法なのだから、有効に駆使できれば手がかりを絶対つかめないというわけでもない。


 もちろん、具体的に迷惑フォルダから拾い出してやってみる人などいない。雲だと思って掴んだら、ふわりとした煙となって消えるのが目に見えている。だからと言って、そうした誘い掛けにあふれている日常の中で、何も言葉を発さず、手も出さなければ、本当に実態あるモノに巡り合うことが出来ないのも確かだ。