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特攻を生んだ日本人の習性

2018年04月21日 | 読書
2018読了44
 『不死身の特攻兵』(鴻上尚史  講談社現代新書)



 「特攻の生き残り」としてドラマ等で描かれる人物は、多くの場合「死ねなかった負い目」を背負っていた。しかしここで著者が取り上げた佐々木友次は、9回出撃命令を受け9回帰還した。ひどく興味をそそられた。『永遠の0』を初めフィクションで触れてきた世界とは異なる「リアル・実像」があるのではないか。


 この新書は『陸軍特別攻撃隊』という先著に準拠し、佐々木氏へのインタビュー等で構成される。第2章は「戦場のリアル」と題され、特攻の現実が縷々詳しく書かれていた。よく、特攻を「戦術」とした、その時代の異状さだけが指摘されがちだが、読んでいくと実は日本人の持つ習性に根差しているように思えた。


 「本来の目的が何かを忘れ、手段自体が目的化されることがある」…敵を攻撃するねらい、つまり空母や戦艦にいかに打撃を与えるかが、打撃そのものより乗員が命を懸けて突っ込んだかが重要視されるようになる。身近な仕事等に置き換えても成り立つ例が次々に浮かぶ。何のためには置き去りにされることが多い。


 「上の者が口にする『責任』が曖昧で、それは『体面』『保身』と読み替えられる」…方面全体を指揮した富永司令官、そして猿渡参謀長は自分を蚊帳の外に置いていることが、時間の流れとともに明らかにされ、いつも下の者は苦悩した。ここに厳然とある格差は「経済」よりも直接的な「生命」だった。心が痛む。


 と、第3章まで自分なりに読み進めたが、4章「特攻の実像」で戦後の動きなどを知らされると、何故鴻上氏がこの著を出そうとしたか、本質はいったい何なのかがより深く迫ってきた。特攻出撃に見られた出来事は、けして特殊ではないという現実は、本文がこう結ばれたことで明らかになる。(続きは、明日寄稿)

 1944年と2016年が一気につながった瞬間でした。