すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

訊かれたらそうと応える一節

2020年02月26日 | 読書
 この四字熟語の意図は何だろうとぼんやり考えながら…

 【冠・婚・葬・祭】(中島京子 ちくま文庫)

 この作家の単行本は読んでいないが、映画になった『小さいおうち』の原作者であることは知っていた。一度、アンソロジーで短編を読んでいた。題名は実用入門書のようだが、「成人式・結婚・葬儀・お盆」というモチーフを並べた小説短編集でもある。自然な筆致が印象的で、それでいてドキッとする一節がある。


 例えば二編目の「この方と、この方」では、かつて結婚の仲介役を積極的にしてきた主人公の女性が、心の中でこんな結論に達しそうになったと書いている。

 「結婚においてもっとも邪魔になるのは、本人の意志である」

 漫才のギャグか、と言えるほどパンチがある。けれど重大な選択において、流れに身を任せる決断が、時に処世術として優れている場合があることを知る者は多い。


 最終話の「最後のお盆」は、廃れゆく実家の整理を兼ねてお盆の行事に家族が集う。地方で深刻な問題となっている過疎や空き家や相続の問題など、背景となる状況は多くの人の共感を呼ぶ。そして、幼い頃に体験したお盆の習わしも、その濃度に差はあれ、懐かしく思い起こされる。ここにも実に沁みる一節があった。

 「お盆に死者が帰ってくるというのは、超常現象でもなにかの比喩でもなくて、まるで同じ動作で繰り返される伝統行事の所作の中に、いまはもう亡くなってしまった人々の面影が立ち現れる、そのことを言うのではないだろうか」

 冠婚葬祭の葬と祭事ばかりが増えていく齢になり、いや世の中全体においてもその傾向が強まっている。そして以前より葬祭が軽いように感じるのは私だけではないだろう。見送る人とどう関わり、何を引き継いだのか、そしてまた何を残せるのか。そうした場で心から語り合えることは、自分がいる証の一つである。